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1.序説 2.『9の秘密』 3.『中心の秘密』 4.『言霊の秘儀』
5.真理の歌1〜6 6.真理の歌7〜12 7.古代日本の真実 8.数が語る真実証明
9.数のささやき(1) 10.数のささやき(2) 11.神の法陣(1) 12.神の法陣(2)
13.神の法陣(3) 14.神の法陣(4) 15.神の法陣(5)
【神の数学 旧証言部】
 これからも更に心眼を新たにして諸氏の肺腑をえぐるような「歴史の真実」と「神の秘密」を取り混ぜてご報告するつもりである。改めて言っておきたい、これらの一切は確実な数の資料と日本に多在する超古代文書を読み込むことにより解かれた事実であり、それを世に出すことを主眼としているものである。幸い、わが国には放り出されたままの超古代文書が数多残され、在野に眠っていて誰も手をつけようとはしない。世界の古代研究者から見ればまことに垂涎の的と言うものである。これらを発掘し、真実を明らかにすることにより、現在の知の閉鎖状態に風穴を開けるような飛躍的な知が見つかことを願い、そのための羅針盤的な役割を果たそうと老いの身に鞭打って頑張っているのである。これにより若い血を持つ頭の柔軟な方々の出現を期待しているのであるが、最近の人々にとってはなかなか飛躍的な発想は苦手のようである。これも現代教育の貧困を物語るものであろうか、それとも人類自体の知ががそのような方向に向かっていつのであろうか……!?。確か人の頭脳やDNAは僅か3%の使用量に過ぎず、残る97%はいまだ空き部屋同然と言われている、それはまだまだ発想には限界がないと言うことであり、人類には限りのない未来がまだまだあるということである。

   頑張っていこう…!!!!!。


陳謝したい、旧い証言部を長い間ほったらかしにして、更新をしなかったことを…!!。
                                           (2010年1月)
 いかにせん、約20年間書き連ねた膨大な数の資料を整理校正し、編集者に回し新たに大編集するのに編集者共々約2年半の月日を要してしまった、その間、編集者と私は殆ど不眠不休の有様で睡眠時間も削りに削ってやっとこの年10月一杯で完成に漕ぎ着けたのである。なんせ、全部で108巻、約2000ペ−ジ(広辞苑と同じくらい)を越すの前代未聞の「神の超知のパッヶ−ジ」であり、内容の再調査とその点検に最も時間がかかってしまったのは予定外であった。さあ、これを引っさげて世界に乗り出すつもりではあったが、如何にせん、いつの間にか体は老躯化してしまい、だんだん記憶も定かではなくなってきたのには我ながら情け無い限りである。
 まあ、何よりも編集に精魂こめて孤軍奮闘してまとめて戴いた名古屋在住の編集者I氏に厚く御礼申し上げたい。二度とこのような方は現れないであろう。私に言わせればまさに「神の権化」であり、「神の使者」とも言うべき御仁である。すべては無償奉仕で寝食を忘れて二年半と言う長丁場をものともせず頑張り抜き完成に漕ぎ着けてくれたのである。まさに感謝感激の思いである。
 
 今後出来る限りの易しい内容のものを逐次披露していくつもりではいるが。如何にせん、PCの技術がうといので本来は図や表、あるいは数で簡単に説明すべきことを言葉のみにての説明となり不明な所も数多出てくると思う。その場合には遠慮はせず該当資料を請求してほしい。


 少しでも信じてくれることを 私は期待したい…。 要は直感に期待し、それを何処までも信じることである。

 では数の奏でる「真実の数のメロデイ」、「数の持つ秘密物語」をお聞かせ申そう…!!。

<これらすべては日本に出現した世界で初めての超知物語であり、ここで初めて公開するものである。これをあなた方日本人が果たして習得できるか、それとも今までのようにまたしても外国の人々に持ち去られ、そこから新しい知として再びあなた方のもとに戻ってくるのであろうか、それは神のみぞ知るである、まさに歴史は繰り返されると言われていると言う言葉は正しいものならば、それもありなんである>
  

 この後はすべて大いなる過去の記録であり、誰も知らない日本発の一つの「数の歴史物語」であると考えてほしい。
 しかし、考えて見ると余りにも大胆で、余りにも想像の域を越えるものであり、恐らく、信じるにも信じ難いものである事は100も承知してはいる。
 が、消去するには余りにも惜しい大切なファイルであり、いとおしい人知を越えた「神の知」の物語であり、心引かれるものばかりのものである。ただ、書き方が少々稚拙であり、内容を掴むにはあまりにも大雑把な書き方であったと今、心では大いに悔いている。
 また、これから新たに筆を改め本腰を入れて書き直しつもりでもある。でも知に目覚めようとしている方、あるいは時間がある方はゆっくりとこの旧証言部を振り返り、心のまま、気のいくままにゆっくりと内容を模索し、数のささやきを聞いてもらいたい。
 それにより、これらは未だ現代人は持ってはいない「自然の心の哲学」であり、「未来にあるべき知」であることをあることを発見し、心をときめかせる事になるかもしれないと言うことである。
 ひょっとすると見落としていた重大な「神のメッセ−ジ」をあなたは見つけるかも知れない…?、またあなた方独自のヒラメキをもって新たな由々しい証言を見い出す可能性も十分にあるものでもある。私は、是非それを期待したい…!!。
 
     
   旧証言部
 <遥かな過去のメッセ−ジ>より

 
 そもそも「数学」と「物理」は紙一重の学問、いわば「裏」と「表」の関係にあるものである。本来は「数学」とは宇宙自然の物象本質、とその流れを余すところなく記述し、かつ描写が出来、説明につながっていく学問のはずである。
 また「数学」は「物理」を真理に導いていく羅針盤的な本質をもっているものであり、「物理」は「数学」を杖にして「自然の理」を追求、開示していくべきものである。
 しかし、悲しいかな現代人はこの事実に誰も気がつかず、完全に別のもの、何らつながりのないものとして別々に扱い、その間の関連を追及することなどはまったく無かったのである。それでも僅かに過去の少数の学者がこのことを知り、真実を探ろうと試み、前人未踏の茨の道を切り開こうと懸命な努力をしていたのである。たとえば、有名な自然学者であるC・G・ユングや物理学者のw・パウリ(ノ−ベル物理賞受賞者)達である。彼等はその事実に気がつき、半世紀前に警告を発したのであるが、その後誰も耳を貸す者は現れず、今や忘れ去られているのである。しかし、彼らの言葉は事実を突くものであり、その真実を掘り起こして見つめない限り、人類は永久に宇宙自然とは共存出来ないこと知るべきである。
 しかし、今、我々は遠い超古代の日本の租達が論示した「数の本質」の存在が、古神道の祝詞の中に今でも健気な形で存在していることを知ったのである。なんとそれが爾来3千年という長い歴史を持つ日本神道の中から這い出してきたものであり、人類にとっては大いなる素晴らしい「数の叡智」であり、限りない人類の「知の秘宝」とも言うべき存在なのである。


彼、ユングは述べている『数』、それは元型に類比出来るような相対的な自律性を持ち、元型と共通して意識に先行して存在し、意識に条件づけられるよりもむしろ意識を条件づける性質を持つものであると…。また自然数は元型的な性格を持ち、その組み合わせはある種の元型に関係を持ち影響を与えるものである。」、「自然数の系列は同一の単位の単なる寄り合わせ以上のものであり、また『数』は元型的な基盤を持ち、そこには数学全体と、この分野ではまだ発見されていないすべてが含まれているのである。それはそのうちいずれ分かるであろうと言うのが数学者達の推測である」と。‥‥「自然現象と心の構造」‥ユング著より 【ここにおける元型とは宇宙元型、宇宙鋳型、宇宙母体を指すと考える

 
 現代科学文明の中では[数学」,「物理」と名づけられたその両者はまったく異なるジャンルとして分類され、区分されているがそれは大変おかしい、なぜならばその両者は本来同一的なものであり、ただ、その表と裏の関係、すなわち、それを見る面とその視点の相違がそれら二つを生み出しているだけなのである。 本来は、「数学」を学べば自然物理や自然物象が分かり、「物理」を知れば自然数学、算の理(計算法)がそこから生まれてくるものでなければならないものなのである。
 その両者の関係をはじめから断ち切り、物理は「物理」、数学は「数学」とまったく異なった教科として子供に教え込んでいるから、そこにある面白くて、摩訶不思議な「物象の相対的な関係」や「数の示す真実言葉」を見出したり、捉えたりする事が出来ないのである。 
 要するに『数学』は単なる機械的、無機的な「数の表れ」になってしまい、面白味はすっかり失われてしまったのである。その結果、数学は面白くない、数学は嫌いだ、と言うアンチ数学、数学アレルギ−の子供が増え、いまでは国を脅かし始めているのである。
 私は言いたい、今の数学者達は余りにも「形而上学神の学問を恐れ、逃げ回っているということを…!!。
、しかし、よく考えて欲しい、「形而上学」の中にこそは自然科学の根本であり、その基軸となる大切なものである事を…。

 学者達はは「数の『0』と『無限大』」を大変恐れ、関わりあうのを避け、逃げ回っている現状である。確かに「現代数学(形而下数学)」の下では0=∞は成り立たない、しかし『神の数学(形而上数学)』ではそれは簡単に成り立ち、当たり前のことなのである。
 試してみるがよい、視線を変えればそれは簡単な自然の道理であり、誰にでも納得いくものである。本来あるべき『本当の学問』すなわち、,「自然に学ぶ学問」とは「形而下」と「形而上」の二つの世界を完全に包含した一体的な相関関係を持つものでなければならないはずである。
 その事を今の子供達は意識下において本能的に感じているから「形而下世界(物質世界)」の学問だけである「現代数学」の姿に疑いを感じ、興味を失いつつあるのである。そのことを我々大人は知らないだけなののである。
 
 私がこれらの事実を述べても一般の学者や数学の教師、いや、数学の権威である数学者さえも首を傾げ、呆気にとられるだけであろう。残念ながら、彼等は「数」のほんの表面しか知らず、もっと深いところにある『「数」と「自然」のかかわり』などは一切知らない、いや、あるはずが無いと思っている者が大部分なのである。
 しかし、ほんの少数ではあるが最も先端的な物理学者達は気付いているようで、彼等は物理を追い求めている中にそこには知られざる「数の動き」、不可解な「未知の数的存在」があるのを察知し、かねがね不審を抱いていたのである。
 そしてこの20世末、1980年代あたりになり、とうとう悲鳴を上げ、「現代数学」に疑問を持ち始めた、なぜなら、今の、「現代数学」では物質の振る舞い等の量子的な自然象を解明するには無理があり、「もっと自然に沿った数学」、「10進法ではない別の記載手法を持った数学」が必要であると考え始めたからである。しかも、それは「まったく新しい姿もった革命的な数学概念」、「新しい数学手法をもったもの」でなければならないとの予見も持ち始め、それが現れない限り、「人間の意識」と「宇宙自然」との対話は始まらず、現代科学にはこれ以上の進歩はないことを直観的に知ったのである。

 今、ここ、日本でまさに驚くべきものが見出されている、それは三千年以上の古い歴史、世界で最も古い宗教とされる古神道(仏教の渡来により変形をはじめる前の日本神道の原形である「縄文神道」)の中から現れた驚くべき古代の「数理」の姿である。それらは「自然数は真実の歌を歌う」や「数は本質の調べを持つ」等の「現代数学」とまったく異なる『古代数理』の数々であり、それはまさに現代の数学者達の度肝をぬくような「数の不思議な姿」「数的異形の形」を持って突然現れて来たものである。しかもそれでいて完全なる整合性、完璧性を備え、我々現代人をして唖然とさせて止まないものである。それがすなわち、古神道の奥義祝詞とされる「ひふみ‥‥天地の数理」であり、そこに秘められている「数の真実理」、「数の本性」の数々である。またそれを開くことにより、大自然のもつ「陰、陽の理」、「宇宙次元の真実の構造仕組」が歴然とした姿をみせ、我々に何事かを囁こうとしているのである。

 それは自然の姿、自然の形を基にした「自然数理」であり、自然万象と共鳴する「宇宙数理の調べ」を持つものである(それは今の人間知にはないものである)。しかもそれはいみじくも古神道の表看板である「祝詞」として数千年来人々の目に触れてきていたのであるが、誰もその意味を問う者もなく、不審がる者もいなかったと言う驚くべき由緒を持つ存在として改めてお目見えしたものである。
 なぜならば、それはあまりにも当り前、馬鹿々しい形の、いわば昼行灯的な存在として表に飾られ、人の心を引くこともなくただただ捨て置かれただけのものであり、不必要とばかり思われていた、さもない存在であったのである。
 その結果、誰も手を付けること無く、そのまま古代の姿を保ったままで残され現在に至っているものである。
 
 爾来数千年の間その由緒いわれ等は誰も知らず、ただただ古神道の奥義言葉として意味も知らず崇め奉られ、語られてきただけであつたのである。この二十十世紀末に私が訪れ扉を叩くまで誰も声をかけるものもなく、ひたすら眠り続けていたものである。
 【「宇宙数理の調べ」とは下記の「『神の方陣』より《計算の図》〔4〕に詳細あり。それこそまさしく『ひふみ‥天地の歌』の持つ本来の姿、真の意味である、『宇宙数理の調べ(響き)』=『ひふみ‥天地の歌』をしっかり知って欲しい。】

 その古神道の祝詞とは何を隠そう、祝詞の奥義であるか『天地の数歌「ひふみ‥‥」の数詞』であり、並びなき「ひ,ふ,み,よ,いつ,む,なな,や,ここ」のたったの9つの数文字のやんごとない姿なのである。
 それはまさに有難い天地の素晴らしい理を歌っているものであり、古今無双と言うべき「神のこよない言葉」なのである。

 
 その数のあり方、その展開形式のあり方がそのまま「宇宙自然の仕組」、「宇宙自然の本質」を開示し教えているものであるが、今まで、誰もその事実の存在を知るよしも無かったのであり、すべては忘れられた存在なのである。
 それはまた、かって古代日本に花咲いた「超古代文明の真実」をシッカリ物語る古代からの隠された「伝承メッセ−ジ」であり、古代の「知の遺産」としての存在なのである。すべては長い時のはざまに埋もれ果て、今まで、誰一人顧みる者もなかったのである。
 
 それが古神道の奥義祝詞、すなわち「天地の数歌『ひふみ‥‥』の数詞」の本当の姿であり、伝統ある古神道の中にしっかり封じられながら、遥か未来の二十世紀の現代まで姿を永らえて来たものである。それはまさしく古代人が知りえた「数の本質内容」を我々に告げようとする「古代の遺産知」であり、祖達の思いを込めた「超知のメッセジ−」と言ってもいいものであろう。
 

 その証拠に「天地の数歌『ひふみ‥‥』の数詞」のあるがままの姿をそのまま用いることにより「天地自然の謎」の秘密は解き放たれ、我々の目の前にその厳とした姿を現わすことになるからである。 それは同時に我々をして西洋科学文明のくびきから解き放ち、新らたな意識文明知へと誘うものでもある。
 私はあえて叫びたい「すべては現代科学を遥かに超えた『宇宙普遍の真実』の存在であり、これからの人類の歩む道を示す『羅針盤的存在』とも言うべき大切なものであると…!!」。。

 それを知り、調査追跡を続けている中に、私は現代宇宙物理学でさえ知らない≪「あの世」と「この世」の対的存在≫、≪宇宙次元の階層的構造≫、あるいは≪宇宙次元の繋がり方≫, はたまた≪宇宙を貫く大いなる陰陽のエネルギ−の流れ≫、などを『数』により教えられ、学ぶ度に大きなショックを受けている状態である。ただ言えるのは道筋さえつければ、それらは甚だ簡単であり、面白いもの、興味の尽きぬものであると言えるものである。またそれらの事実の示すものは未だ我々人間の知らない「科学知」、「哲学知」等がまだまだ無限にあると言うことであり、人間が傲慢になることを戒めなければならないものである。

 今,現代科学はそれらの事実を見出すための糸口を何とか見出し学ばなければならない非常の時であり、それが明かされ無い限り現代西洋科学文明にはもはや明日は無く、ただずるずると衰退滅亡に追い込まれるだけなのであろう。
 まことの自然本質を知り、そしてそれからすべてを学び取り入れ、かつそれに従う、それが何よりも今必要なことなのである。 
                           【その詳細は『神の方陣』講座(10)参照のこと

 ただ、言葉だけでは諸氏も信じることは出来ず、疑いの目を向けて嘲笑うだけであろう。そこでこのあと『数』の語る「宇宙、宇宙次元の真実」を概略的に少し描き記して置くことにする。
 心ある方はどのような過程を経て、またどのような計算手法でそれが成り立ち、真実を伝えているものか、そのあたりをつぶさに調査検証し、その次第を追跡調査して欲しい。 すべては論拠的にはピッタリ合うものであり、数理的にも間違いの無いものである。
 
 また、それと同時にそこにある『神の数学』のもつ計算法ひふみ算法)の秘密や、自然の持つ[数の本性]を探って戴きたい。
 そこにあるのは「現代数学」では解けず、自然数学、意識数学である『神の数学』だけが解き放ち得る『自然の大きな秘密』であり、現代人が夢想もしなかった『自然の叡智』が秘められた大いなる超古代の叡知の数々である。
 それらを心して思考考察を続けることにより、すべては明かになるものであり、それにより貴方の心、意識のあり方も一段と高まり、同時に意識感覚もまた格段と鋭くなり諸々の『神(自然)の秘』」に容易にタッチすることが出来ることになるのである。

 少々残念なのはしっかりした図表を用いての説明が私には出来ないことである、インタ−ネットの性格上、いや、私の腕前の稚拙な事が災いして確実な図や表を描くことができないのである。それも止むを得ないものと考える次第であり、大変残念なところと思っている次第である。
 どうしてもと言う方にはFAXを利用してこれら数手法の是非と聖数図表等を求めてその真実を確めて戴きたい。
それにより、、貴方の人生を更に有意義なるものにして戴ければまことに幸甚であり、有難いと思う次第である。
 
 すべては『神の数学』の計算手法循環法=ひふみ算法)が明らかにした「宇宙普遍の計算法」であることを知ってほしい。
 そしてそこには「現代数学」が金科玉条としている「負数(−)」や「虚数」などの不自然な数学の姿は無く、単に加算、減算、比などの「正数」による計算の仕組みがあるだけである。それはかの有名な量子物理学者、R・ペンロ−ズの語る時空の計算物語そのものである、彼は「宇宙は整数のみから、組み合わせの作用だけでつくられている、すなわち宇宙は「比」、「足し算」、「引き算」という単純な算術演算だけで創られていると言うことそのままである。

 そこには「現代数学」が苦し紛れに生み出したマイナス数や虚数概念などはさらさら無く、まったく正常な正数概念のみを用いる『自然数学』の姿があるだけである。だから数学を知らない幼い子供達は簡単に答が出せ、その内容に嬉々として同調し、懸命に学ぶ事ができるものである。そのあたりを考え名がら、じっくり挑戦し、真実を明らかにして欲しいと思う。
 ここに述べている事柄とは古代に存在した「古の数の理」であり、自然と共鳴同調した『数』の姿でもある。恐らく諸氏はすべてを読み終えると同時に考え込むであろう、こうまで明らかな「現代の数の理」の誤りを見せられ、突きつけられたのでは動揺するのも当たり前である。またいみじくも、それは古神道の『祝詞』から現れ出た由緒のあるものであることは前述した通りであり、いわば、この『日本古代の数の姿』こそは日本の誇るべき『叡智』であり、世界の『知の宝』とも言うべきものであると言うことを知って貰いたい。

 是非、不遜のないように扱って戴くことをお願いしたい。では『数』の語る『超知』の数々に十分目を通し、そこに示された『数の真実の姿』をごゆっくり考察検証し納得していただきたい。出来る限りにおいてで結構なので、自らの手で更なる普遍真実を探索究明することをお勧めいしたい。貴方が分からないのは百も承知であり、難しいと考えるのは千も承知している、真実が判らないから、真実を知らんが為に皆が苦労し、学び取ろうとしているのではないか。それが我々のこの世に生を受けた者としての本当の学びであり、務めでもあるはずである。ここにあるものは大変に易しいものであるが、あなた方の頭がそれを知ろうとしないだけであり、ただ拒否反応を起こし難しいと感じているだけなのである。長年の「誤った知」を唯一のものと信じ込み、「正しい知」の存在を今まで貴方は知らなかっただけなのである。ただそれだけである。


   ≪『神の数学』が開示する宇宙の姿と宇宙次元の仕組みを検証する≫

 ≪以下は「『神の方陣』講座(6)」の一部転載である、そこにある「数の理」の業、その確かさを是非読み取り、もって諸氏の「現代数学」一辺倒に終止符をうち、新たな自然数学形態である『神の数学』の存在に目を開いて戴きたい。≫

 『神の法陣』の秘密(10)』各次元の全体的波動(共鳴波動)を調べ、その繋がりを見る

 ここにおける計算とは自然の状態にある自然数を加算する事で始まるものである。「『神の方陣』の秘密(9)」では対極数、いわゆる「『陰』と『陽』の相関関係」と「数の表れが示す真理事実」を解き明かしたが、ここではそのまま自然数順による計算を進めてみよう。各方陣の数字をそのまま「ひふみ足し算(循環法)」で縦に加算し答を求めたもので、いわば「自然の数法」そのものである。

 『ひふみ方陣』より≪加算計算は自然的循環法(ひふみ神算法)を用いる≫ 
 
 〔単なる易しい古代人の「足し算」である、果たして「現代数学」の申し子である貴方にはできるかな?。(十進算法捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ「数の道」)。〕 
  まずは その計算法を学び始めることである。



                                                  (2013年6月表挿入)

 同様に、8次−76543210、9次−000000000、10次−1234567801、11次−46813570246、12次−360360360360 の数答があらわれる。それを一桁化すると0110110110……となる循環数列が現れて何事かを囁くのである。現代数学ではそこには何の意味も無いとして、単に捨てられるだけのランダムな数である、しかるにそこにOpen sesame(開けゴマ)を唱えて『神の数学』手法を施せば、あら 不思議 数字が大きく開け、ものを言うのである。ひょっとするとそれは神が封印しておいたUntouchable Secretかも知れない、いや、そうではなくこれは開けてはならない禁断の箱、神の秘儀の詰まったパンドラの箱の中にかろうじて残っていたもの、すなわち「希望」と言う名の最後の神のはからいかも知れない。でもいいではないか一諸に開け、覗いて見ようではないか。まず、その前に上記の数字には如何なる関係があるのか、少々その委細を記しておくので一つ考えて戴きたい。それらは単なるランダムな数列ではなく、「大いなる意味を持つ数列」である、それを確認するために貴方の持てる知をフルに動かし全力でぶつかって戴きたい。

以下は『神の数学』手法の「ひふみ神算法」による。詳細は【超数学(3)参照のこと】≪計算は右の数から左の数をひく、そこには負数(マイナス数)は一切無い、それが自然界の姿であり、正しい見方である。『負数(マイナス数)、そんなものは学者達が苦し紛れに作ったものであり、それは自然にとって論理外のものなのである。≫≪ここにある答の数字を見るがよい、「現代数学」的にはランダムな数字で意味の無いものと見えるが、『神の数学』の目から見るとご覧のように完全秩序に貫かれている「真実の答」である。≫

    00、01  46、 360、 1504、  16273、  630630、 1864207   計算例(負数は一切無い)
    ∨   ∨    ∨   ∨ ∨    ∨ ∨∨     ∨ ∨∨ ∨     ∨∨∨∨∨    ∨∨∨∨∨∨           
    0  1  2   33    444    55 55   66666   777777 
      
                                       2−6=−4(誤り) →5(正)、   6−8=−2(誤り) →7(正)

                                                             

  76543210、 000000000、 1234567891、 46813570246     (心得よ、これを読み解かない限り前進は無いと)

   ∨∨∨∨∨∨∨   ∨∨∨∨∨∨∨∨   ∨∨∨∨∨∨∨∨∨   ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨  
   8888888  00000000    111111111   2222222222

 
 これらの計算は大変自然で容易なものである、しかし現代人にとっては難しいものであろう。すべては≪9=0≫から導かれる、9=4+5=0,2+7=0、すなわち(−4=5)、(−2=7)である。これらの驚くべき変換式は宇宙普遍の真実であり、公式でもある。その理由を次に示しておく。それらの仔細はアメリカ発のニユ−スとして数十年前に発信されたものである。しかし、その内容はNASAの科学者達でさえ解くことは叶わず、ただ九の倍数体系(システム・オブ・ナインズ)と名づけられ、解読不明のレッテルを貼られて捨て置かれて来たものである。更に驚くべきことはその『数式』は墜落した円盤の中から発見され、学者達により寄ってたかって調べられたものであることである。 『UFOの内幕』‥‥F・スカリ−著(69ペ−ジ)より。

 私はそれを見て唖然とした、そこには『神の数学』と同じ数式が一覧表としてずらりと並んでいたからである。まさに目を疑う光景であり、信じるには余りにも勇気がいるものであった。 何と、古神道から現れた「古代の数理」と遥かな進歩知を持つ宇宙人の『数の理』はまったく同じものであったと言う驚天動地の出来事が起ききていたのである。まさに呆然自失であり、言葉もないものであった。 古神道の『神の数学』とはすべてこの算式で計算され、答を示しているものである、それはちっぽけな「現代数学」ではどうあってもこれらの計算は出来ず、ゆえに「自然真理の追求」は無理であり、正しい答を見出すことは出来ないと言う驚くべきシグナルを示しているものである。

ご覧のとおり、そこ、最終的なランダム数列の中には0123456‥‥の正序を持つ同一数字の軍団、すなわち『ひふみ‥数序』が鎮座し、美しい姿で貴方を出迎えているのである。さあ、これを諸氏はなんと見るのか、一体これは何を意味するものか、是非とも鋭い直観と深い洞察力を働かせ、自らの力で答を出して戴きたいものである。要するにこれをどう読み、どう見るかである、単にいままでの人間知の延長線の視線で見るのか、はたまた今まで培ってきた『神の数学』の持つ自然の目、あるがままの根元意識で読むかである。例えばである、上記例を12次、13次と計算を続けて見るとそこには驚くべき「自然の数の本質」の真髄を新たに見出すことになり、ただその本質の玄妙さに感嘆し、あわせて現代数学の蒙昧さ,いい加減さに慄然となり、人知の至らなさをつくづく感じ呆然自失に陥る始末であろう。【ただし、現代知にての考察実証はむりであろう、余りにも思考法が違うからである。騙されず自らの知で考え、確めて欲しい。】


    ≪神の証言≫(今までの計算形態から出て来た驚くべき答

(1) ここに現れた正自然数の秩序ある並びを見て貰いたい、そこにある01234‥‥と続く規律をもった数列、それはまさに古神道の「ひふみ‥‥の天地の数歌」そのものではないか。これをして子供の戯れ歌である、原始的な数言葉であるとした西洋かぶれの日本人、及び西洋の宗教人達は如何に知的眼識の低いものであったのか、今になり伺い知れるのである。そこには012345‥‥と並び、数の順律を見せながら、同時にそこにおける数の個数もそれに従い、規律正しく1、2、3ヶと増えていっている[数の群れ]があるのはお判りであろう。まさにその姿は「驚くほど美しい」「素直である」「正しい秩序を持っている」ものであり、凛とした「自然の性質」、厳とした「自然の仕組み」を示しているものである。それはまさに数には未だ知られていない別な顔があるとのご宣託をあらわすものであろう。

(2) 現れたもの、計算結果の始末を見てほしい、最終的な数字系は012345678と続くのであるが、8の次は9ではなく、0である、 その上に9(0)の次は10ではなく、1である、これはそのことを表す厳然とした数の検証理であり、その真実を示すものである。これこそが古神道の祝詞である『ひふみ‥‥』の数序、すなわち、10以上の二桁の数をもたない、「ひ、ふ、み‥‥や、ここ」の数の繰り返しの姿であり、同時に「真実の数の在り方(ひふみ‥算法)」の表れ、「宇宙自然の数の運び」であることを知って欲しい。それがまごうことない自然の持つ『数律』そのものであり、自然の『大律』であることを「数」はいみじくも語り、証言しているものである。その何よりの証拠には「ひふみ‥‥の天地の数歌」を用いる限りにおいてはすべての天地自然の謎は解き放たれ、我々の目の前に忽然と現れて語りかけてくれるのである。それは「現代数学」手法においては決して現れないものである。
【古代の神道祝詞である「ひ,ふ,み,よ,‥‥ここ,たり」の「たり」は10を表すのでなく、『足り』、すなわちそこまでと言う「閉め言葉」であったのであるが、いつの間にか10を示す数言葉に置き換えられたものと思われる。】。【広辞苑‥‥動作の終了、完了、そこまでの意。                                                詳細は《数学幻視考》(古神道の部)参照】
         【ここで示されているもう一つの数の真理は≪9=0≫である。要するに、‥‥7,8,の次は9ではなく0であることを数はハッキリ示している。】


 「十進法」はいざ知らず、自然万物の理法である『循環法』計算においては (9=0)が定理であり、その次は1である。すなわち、0123456780123456‥‥と数は伸び、妙なる循環態、整然たる循環数である確たる存在を示しているのである。そのあたりのことは『神の数学』の中で様々な形をもって証明されているのであり、貴方は何時でもそれを手に入れることができるのである。要するに最初に0を置かない限り万象は決して生じて来ないと言う真理鉄則が自然にはあるのである、それを人間は未だ知らない、知ろうとはしないだけである。

 そんな馬鹿なと言う前に自然の確たる規範である「元素周期律表」を見てみるがいい、そこには原子の基本数は8ヶと限られ,一つ0と言う呼吸をおいて初めて新たな軌道をつくり1,2,3,‥‥と始まっているではないか。しかし、何故かその理由は誰も知らない、たとえ大科学者と言われる人でさえも。】

 宇宙自然のすべて、小さな原子から星々、大宇宙にいたるまですべての自然象は廻り、回り、大きく巡って、元の基点(0)に戻っている、すなわちその繰り返し(循環)であるのはお分かりであろう、驚くべきことに自然と同じ循環形態を『数』は持ち、「自然態の真実」を伝え持つ能力さえ有しているのである。それによりあるがままの自然の姿形をそのまま開示可能であり、「自然のもつ真実」、「自然の意思の存在」を我々に伝えることができるものである。

 しかし残念にも我々は自然と異なる『数手法(10進法)』を所持しているのであるが、それに対して自然はまったく反応しないのである。すなわち、それは自然の奏でる数学手法とは歯車が合わないと言うことである。それに対して数学者はまったく聞く耳は無く、聞こうともしないのである。だから自然との意思疎通は進まず、学者達は数百年間も苦しみもがき、四苦八苦しているのである。

 常々私は宇宙自然を解くには直線数学である「現代数学」は無力であり、「循環数学」である『神の数学』を用いなければその宇宙自然の理解は進まない、,永久にその「本質」は分からないと申し上げているのである。その証拠に「循環数学」、すなわち『神の数学』を用いて「数の理」を探索検証すると自然は面白いように答を開示し、次々にと「高次自然象の理」の存在を繰り出してくる。それはまるで我々の学のつたなさをあざ笑っているのか、それとも余りの知の貧弱さに呆れ果てて憐憫の情を示しているようにである。
 

(3)そこにある0、1、46、360、1504、16273、630630、1864207、76543210、000000000‥‥ とつづく一連の数字は何を表すものであろうか、答は誰も知らず、誰も見破ることは出来ない。
 ところがこれらの数字の正体は子供でも知っている「日本人の常識」であり、その中にしっかりと仕舞い込まれている「大いなる数字」なのである。ただ貴方が知らない、いや知ろうとはしなかっただけのものである。あまりにも「現代数学」を信じきり、間違い等はあるはずが無いと思い込んでいたからである。
 それを解く大きなヒントはもうすでに出ているのであるが、いかがであろう。自らの知を奮って挑戦し、見事答の数字を導き出してみることが出来るであろうか。これはまさに「神のクイズ」であり、『知的進化度を計る神のメッセ−ジ』とも言うべきものである。
 これは日本人だから分かるはずなのであり、日本民族に対しての大いなる「神のメッセ−ジ」と考えてもいいものかもしれない。

 是非、どなたか持てる限りの「知」をふるってこの正しい答を見出し、『神』の期待に応えて戴きたい、それが「九九算の守護者」を任じている我々日本民族に課せられた大いなる義務であろう。それは確かに小さな一歩ではある、しかし同時にそれは人類にとっては大きな一歩となるものでもあることを知って欲しい、何故ならこれにより人類が新しい「数の知と理」を獲得することになるからである。

 『神の数学』は大変素直で易しいものである、それを難しいものと考えるのはあなた方の知の概念がそうしているのであり、現代西洋科学的な考え方があなた方の脳を完全に支配し、牛耳っているからである。現代的頭脳で完全武装した西洋知識の権化である方々には無理でも、普通の凡人で明晰な直観と深い洞察力、そして素直な心を持つ方なら、心を少し澄まし考えるだけでお分かりになるはずである。

 まあ、ついでのこと、この「神のクイズ」を少々解き進め、そこに潜む「神の秘密」、「真実の存在」を少々探ってみよう。貴方方の持つブラインドな知では多分解く事は叶わないと思われるからである。またここで理解出来ない方は時間をかけて十分に考え、ゆっくりと歩を進め、理解に到って戴きたい。それにより少しでも、一段上の自然意識の存在を知り、心を少しでも覚醒させる新たな一歩を踏み出すことが出来れば幸いである。

 その後はそれら自然意識(神)とフ-ィドバックを重ねることにより己の知を更に磨き上げて戴きたい。貴方は既に現代知の向こうにある「真実の存在」を知ってしまったのであり、更にはこれからそれとコミユニケ−トする方法、手段を学ぶことになるのであり、その後は実践練磨と更なる検証により自信を深めるだけである。
 私の出番はそこまでである。後は悩み、苦しみながら一歩々階段を上って成った状態に入り、すべてを知るだけである。
               ≪「成った」とは将棋の言葉を思い出して欲しい、「成った」とは古事記にあるように古代真実の偉大なゆかし言葉である≫

 
 次に大変な真実を語っているもつ一つの数表を掲げておく、これは『神の数学』を学んでいる諸氏にはお馴染みの『宇宙次元原理表』であり、その名の通りの「宇宙次元原理を表す聖なる数表」である。その名の謂れ、それはすなわち宇宙次元に基ずく諸象を数で計算していくと最後に必ずこの『次元原理表』の何れかの数列に帰すことになることからである。然るに、これをして初めて目にするものであり、聞くものであると言ってはいけない、あなた方は今迄にこの「次元表」を何千回、何万回も唱えているのであり、現在でも毎日お世話になっているものである。ただ、心がそこに行かないから知らない、見ようとはしないから見えない、聞こうとしないから聞こえないだけなのである。

 【智恵に目覚めた者は調べるがいい、ここには「あの世」と「この世」の仕組みや、その成立過程、表れの違いまで数で開示し、謳いあげてられているものである。すべては自然態そのものが見せる業であり、正自然数(ひふみ‥数歌)のもつ驚くべき次元の仕組みの業であり、その開示でもある。)【これは日本人なら小学生でも知っているものである、さあ、その名は?----答は(九九算表)、それを「ひふみ‥」の数理で表わしたものである。調べれば判るまことに簡単なものである】


 下図にある『宇宙次元原理表』(ひふみ‥九九算表)に上で求めた『ひふみ‥方陣』の答、すなわち 0、1、46、360、1504、16273、630630、1864207、76543210、000000000、1234567801、46813570246、360360360360、の各数列を置くとピッタリ合うのである。
 
なんたる不思議、何たる妙、何たる摩訶不思議なことであろうか。それは神妙玄理とも言うべき「数象(数の顕れ)の理」であり、精妙なる「神の数の調べ」でもある、そして新たな「自然数理」の確たる存在を語る驚くべき証言とも言うものでもある。
 また、この表の仕組みは少し考えただけで誰にでも判るものであり、またこの「古代の数理」の確かな存在に気がつくにつれて貴方の心は徐々に揺らぎ始め、目覚め始めることになるであろう。

 また、同時に『神』の携えている「宇宙普遍の叡智」の基本等のすべてはこの表の中に開示されていることを知ることになるであろう。ただ、今まであなた方はそれら一切には気がつかず、西洋科学の華やかさにただただ舞い上がり、心を奪われているだけなのである。そろそろこのあたりで現実をしっかり見据え、あるべき自然の心を取り戻して欲しい。
 この表には「数」が奏でる人知を超えた「神のメロデイ」の存在が数多示され、驚くばかりの『神の秘密の理』が語られ、説かれていることを知ってほしい。

 しかもそれらは我々日本人にしか解き得ないものである、何故ならば、古神道に示された古代の「数の理」を用いない限り決して解く事は叶わないからである。その明らかな証として一部の数の証言を次に示して置くので、願わくばペンを取り、その真実を自らの手でしかと確め、本来の日本の「叡智の本性」である(ひふみ‥算法)の真実を再び現代に蘇らせて戴きたい。

 下記の『ひふみ‥‥』算手法による「九九算表」に秘められた『超知の数々』は次の通りである、それらを見事に解く者は果たしているであろうか、例え一つでも自らの心と手で開くことが出来るであろうか、? 私は危ぶむ!!。しかし、期待したい…!!!。

@ 下図に示す「九九算表(ひふみ‥算表)」を見て戴きたい、そこには中心を境に「数」という基本因子が妙なる「調和」と「秩序」を見せ、相互に自己調和を保ちながら見事な全体的調和を見せているものである、お分かりであろうか。
 全くランダムで無関係と見えるそれぞれの「数」が驚くべき『中心律』の下にロジック的な組み合わせをもち、それにより全体的な調和を図り、安定状態を保持しているのである。その事実は図全体にわたって等しく見られ、その様はまさに現在の「力学的世界観」を強く否定している新しい物理理論『ブ−ツストラップ世界』そのものと言えよう。
 若し、これを用いて検証すれば物理学者達が難渋している『ブ−ツストラップ物理』の持つ因象及びその実理は容易に開かれるのであり、その内容は一段と詳しく紐解かれていくはずである。

●●●少しづつ字体や数表を更新して、読みやすいようにしています。もう少し時間を下さい。きょう今日はここまで…!!!!!
A 「縦の数列」、または「横の数列」における相関数(中心を挟んで相対的な位置にある数)をそれぞれを加算すると、その和(Σ)はすべてである(総計20ヶ)、すなわち、すべてにわたり本質は0を持つことが分かるのである。この相関数とは「陰」「陽」の関係にあるもので合一(加算)すればになると言う相対性的と言う因縁をもつものである。これらの「縦」と「横」の相違、その区別であるが、本来は「縦」と「横」とは「陰」と「陽」という相対した関係をを持ち、「陰」+「陽」=0の関係にあるものである。そのあたりから仔細を伺うと「陰」と「陽」の確たる姿、その本来の性質そのものがが十分に理解出来るものである。
 例えば、「この世」と「あの世」の切っても切れない関係、又はその二つの因縁的な「対の姿」、そこにある本質や姿の違いさえも一目瞭然とした形でに開示されているのである。
 この表を用いてそのあたりの真実関係を是非把握会得し、一つの心の糧として戴ければまことに幸いである。

 ところが現代西洋科学はこの「縦」と「横」のまったく相異なった関係にある事をを知らずして、同一的に捉え、平面的な計算を進めているのである。 

 それ故に「現代数学」は『ものの本質』そのものは何も見えず、そこに有るべき自然律や自然則は何も掴めず、ただ無味乾燥で無機的、そして機械的な内容に終始しているのである。
 自然の在り方に敏感な子供達は本能的にそこに「異質」、「不審」を感じ、知らず知らずに数学から離れてしまっているのである。
 
 白状すると私もしの一員、数学嫌いであったのである。

B この九九算表を中心をもとにフラクタル的(玉葱の皮状)に分解する、そのすべての場(枠=6ヶ)における数の加算和(Σ)を見るとすべて本質0を示すことになる。また、その各枠内の数字の総計(Σ)は順に0:1:2:3:4:5の比率(正自然数比率)を持つことに気がつくであろう。本質0を示しながら、同時に1,2,3,4,5の意味ある数律を示す、そのような不思議なことを「数」は出来るものであろうか、「現代数学」では不可能であるが『神の数学』では容易に可能なのである。それこそまさに「数」の持つ大いなるミステリ−であり、人間知の及ばぬ神業と言えるものである。またここに現れた012345‥と言う正自然数的連比の存在こそが祝詞『ひふみ‥』の語る天地の歌の意味であり、まさに「古代知」存在の証拠となるものである。その事実等は現代数学概念、またはそれに基づく計算等では一切現れること無く、ただ意味の無い数列だけが並ぶだけである。これらの「数」、すなわち0123456‥の数の囁きこそは「自然の真理」の開示であり、それを謳っている祝詞『ひふみ‥』とは古代知の躍然たる面目を秘めた大いなる知遺産と言えるものであると言っているのである。何故ならば上記の「各枠場は0を示しながら、かつ整数比0,1,2,3,4,5を持つ」と言う原理概念は「現代数学」にはまったく無く、その事実の現れは現代人の夢想もしない「数の仕組み」の存在を示す驚くべき存在なのである。そこにある祝詞「ひふむ…天地の数歌」の意味とは、すなわち「ひふみ…の九つの数は宇宙自然の持つ響き(リズム)そのものである」との意である。                   【詳細は『宇宙次元原理表』bV参照】

C この九九算表の相対する位置(陰、陽)にある斜めに走る二つの数列(20ヶ)の和(Σ)はすべて0を示す。これら「本質0」を見せる世界とは般若心経の「色即是空」,「空即是色」の世界であり、量子力学がかいまみせる「空の世界」、すなわち『自然万象は0と言う本質』を持つことを表しているものである。この手法概念こそ不可思議な「数の表す完全世界」の真髄を十分に我々に味わせてくれるものである。ひょっとして、これを簡単化して図案化したものが「キルコル」、別名「曼陀羅の図」かもしれない、この「キル」とは中心をあらわすもので、「コル」とはその周縁をあらわす同心円構造を持った宇宙をあらわすと言われるものである。ちなみに「キルコル」とは運動し、変化する多次元的な全体の運動をあらわす言葉である。<下線部は実藤遠氏(理学博士)の「宗教と科学を統合する宇宙生命の書」より>

Dこの表の対角線を挟んで分かれる「陰,陽の世界」において、その「陰の場」と「陽の場」の二つを巡って流れるすべてのマキシマムな「エネルギ−の流れ(10ヶ)」は還流還元して最終的にはすべて0の値をとる、すなわちすべては『本質0』に収斂し、『無の世界』に還るのである。まさにこの事実の存在は驚嘆と畏敬を覚えるものであり、まさに驚異そのものである。如何なる大学者と言えどもただただ言葉を失い、顔色を変えるだけであろう。また、そのあたりは誰にでも計算可能であり、実証可能なものであるが、一旦その内容を瞥見した者は百人が百人その仕組みの絶妙さ、内容の峻厳さにただただ頭を下げ、驚愕に恐れおののくばかりである。恐らくその意味するところは、「陰」と「陽」という相対する時空(極)を貫いて流れるすべてのエネルギ−はその「陰」,「陽」二つの世界を一巡して初めて整合体(同一数)の姿をとる、すなわち、すべてが「陰」と「陽」の場を経ることにより0に還ることを表わしているのであろう。もう一つ突っ込めば「すべては循環と言う活動形態の中で一巡転(回転)することにより同一姿になり、そこで改めて「陰」と「陽」が相和することにより、そこに生じた差、発生したエントロピ−の負荷などはすべて中和され(0)になり、まっさらな状態に復元されるのである」を示すのではなかろうか。〔現代科学は「陽の世界(物質世界)」のみを対象にしているのでエントロピ−の増大により物質世界はいずれ破滅すると考えているようである〕。【詳細は『神の方陣』上級講座(3)参照のこと】
『神の数学』では0に還ることを「成った」と呼び、すべてが完成したことを表すものである。恐らくこの概念は今の我々の世界には無いものであり、貴方の心には響かないかも知れない、しかし真実は真実であり、結果は何度試みても変わらないのである。是非、貴方の手で計算を試みて欲しい、道筋さえ分かれば小学生でも簡単に出来る問題である。また、その手法を学び取れば、『神』の最後の牙城である『神の方陣』における数百、数千、数万の「方陣図」に応用処理できるものである、たとえその「方陣図」を宇宙大に広げても同じ理がまかり通り、同じ結末が現れると言う摩訶不思議な結果が現れるのである。これはまさに「天の理」であり、「宇宙の律」の存在を示すものである、我々は謹んでその真実を学び、知識の中に組み入れなければならぬのである。貴方自身も多分、探索の輪を広げるにつれ次々と現れるその妙理の数々に思わず感嘆の声を上げ、唸ることになるであろう。
【更なる詳細は『神の方陣』上級講座(3)参照、そこには「図解」と「計算図」が有り、簡単、小学生でも理解可なものである】

Eこの表の対角線を挟む各数列を見て欲しい、それらはすべて多重鏡面構造(シンメトリ−)であり、またその各数列も中心を挟む鏡面対称の形をもつているのである。、それはすなわち一つの対角線を挟んで鏡面対称を見せていると同時に、そのままもう一つの対角線に対しての鏡面対称構造を有している驚くべき二重構造的鏡面体を示しているのである。それは可逆的な働きにより自己調和性を整えようとする「自然の驚くべき調和作用」、「自己浄化作用」の表れ、すなわち大いなる自律性の発露と言うべきものである。またそれにより「0の本質」を持つことになり、一つの『宇宙具象』、すなわち『易』に言う「太極的存在」になつているのである。惜しむらくは現代科学は未だその超具象には気がつかず、ただただ考えあぐねて溜息を洩らすだけである。


F この「数図」,『ひふみ‥九九算表』(宇宙次元原理表)こそ四,五千年以前に存在した古代日本に起源をもつ『神の易』であり、「中国易」の元型ともなったものである。その後 BC2400年あたりに中国の留学生の伏義、神農によって「方陣の形と概要」が中国に持ち出され,そこで「中国易」(周易)として再生されて大いに勢いを振るったものである。今の歴史では『易』は伏 義、神農により「馬紋」、または「亀の甲羅」から見出されたものとしているが、それは単なる神話であり、事実ではないことは誰にでも判るものである。考えてみるがいい、彼らが抱えていた「3次方陣」を示す「河図」、「洛書」の中からはどうあっても、太極、両義、四象、八卦等の諸元は一切出て来る事は無く、それは一つのメタファ−(隠喩)をあらわすものにすぎないことを。哀れにも、それを求めようと「3次方陣」に挑んだ万人はただただ頭を抱え呻吟苦悩しながら生涯を終えているのである。そこにあるのは言葉だけで示されているStory(講釈)だけが空しい形を止めているだけであり、はっきりとした象証を持たない哲学的な響きを持つ言葉だけが並べられているだけのものである。それを明らかにしているのが『易』の注釈書である「繋辞伝」である。そこには『易は典要をなすべからず』、「すなわち法則の通りではない」、「あまり突っ込まないで欲しい」と書かれているのである。今では中国でも『易』は見捨てられ、余り見向きもされない。ところが上記の『宇宙次元原理表』においては整然とした太極、両義、四象、八卦が姿を現し、すべてが型通りに諸象を説明し、我々を唸らせるのである。これはまさに、現在の古い『中国易』、すなわち真実を持たぬ反自然的な「易もどき」からは脱すべし、そして自然基本構造に沿った『神の易』、すなわち自然の示す真の『易』を用いることにより宇宙万象を追求同化し、自然の真実を学ぶべしとの大いなる示唆であろう。これは現文明史始まって以来の大きな『神の知』の出現であり、日本こそがその初発起源を持つ世界に冠たる国であるとの「大いなる証」としてここに出現したものである。それら古代の知のすべては既に甦り明細文書として私の手元にあるのである。必要とする方は是非参考にして戴きたい。(ひとつ、そのあたりの事実をコンピュ−タ−あたりを用いてこれら「易図」の真実を明らかにし、その「歴史的真実」及び「方陣の内容真実」を糺そうとする才ある者の出現が待たれる。この仕事を受け継ぎ、完成させた者はその名を永遠に歴史に残すであろう。我こそは類い稀な洞察力を持つと自負する方、人には負けない熱意と情熱、そして愛国心を有するとお考えの方は是非手を挙げて戴きたい。)【詳細は『宇宙次元原理表秘原図』18、及び《数学幻視考》魔方陣(8)(9)(10)を参照】

G ここに示された『宇宙次元原理表』(九九算表)にある縦の並び(縦数列)、横の並び(横数列)、二つの斜めの並び(二つの対角線数列とその並び)、その4ケは全く同一な数表現(次元性表現)を持っている事を表すものである、何たる事であろうか、その事実は今の私にさえ畏敬の念と驚異感動の戦慄(わななき)の心を覚えるものである。それは「現代数学」では到底不可知であり、不可侵の存在域にある『神の知』の一端の現われとも言うべきものであり、また『神』は「数学性」を持つとの風聞を物語るものである。世の中の神も仏もあるものかと世を拗ねている方々よ、せめてこの事実だけでも自らの手でもって篭絡し、そこにある感動と感無量の境地を見定めることを望みたい。それにより、その頑是無い心に少しでも潤いを持たせ、感謝と生き甲斐、そして確たる信念を持って残りの人生を有意義に歩んでいく、それこそまさに醍醐味のある生きざまと言うものであろう。すべては貴方のこれからの心次第で変わるのである。

H これら「数」がよどみなく開示する「神の秘」を見ていくとすべては必然であり、偶然なんては少しも無いことが分かってくる、すべては神のセオリ−通りに動き、そして完結しているのである。すべては敷かれるべくして敷かれたレ−ルの上を我々はその通りに歩っていただけである。『神の数学』を学んでいくとその結末を読み取る事すら可能であり、それが常に一定のサ−クルを描きその上を移動していることが分かるのである。残念な事にここはインタ−ネネットの世界であり、判りやすい図形、図象を用いての説明等は私には出来難く、ただただ涙を飲むだけである。例えば上記の@〜Gの説明も数図表を用いれば万人が即理解出来るのであるが、悲しいかな文字による抽象的な説明と化し、甚だ要領を得ないもになっているのも甚だ心苦しい限りである。次のものもまた同様なものであるが、願わくば、諸氏の優れた洞察力をもってそこにある深い意味合いを十分に汲んで了として戴きたいと思う。

(緑の部分が『九九算表』の部分、その両端の≪0≫群を重ねて円筒形にしたもの、それが(循環世界)であり、、またその円筒を転がし、転写して数を無限に広げたもの、すなわち転写した影、転写されたコピ−の世界、それが(直線世界)である。「現代数学」は無限に広がりを持つ直線世界(十進法)が基本フレ−ムであり、直線数学の形をもつものでる、故に「線形数学」と呼ばれていることはご承知であろう。インドでは現代数学を称して直線数学と呼んでいるのは御承知のとおりである。それは循環系を基本ベ−スに持つ「自然」とはそりが合わず、『自然の心』、『自然の法則』は一切読めない、解けない状態であるものである。見るがいい、上で求めた『ひふみ‥方陣』の答、すなわち各次元数の現れ出た答(青い数字)とこの『ひふみ九九算表』の次元数(赤いセルの数字)は見事にシンクロし、完全なる重なりを持っている事実を!。 果たしてそれは何を意味し、何を告げようとしているのであろうか?。それは『ひふみ‥』算こそ自然と融化通合している唯一の[数算の理]であり、その計算手法である事を示す貴重なものである。そのあたりを貴方の鋭い洞察力をもって更なる中を覗き、その真実を探って新しい情報をもたらして戴きたい。それにより我々人間の知は一段と進化し、「神の知」とその息吹に触れることが出来るようになるのである。

  
≪古代日本に封じられた「真実の九九算(ひふみ九九算)」の素姿を読む(古神道祝詞『ひふみ‥‥天地の歌』より)≫
          (みどり色の部分が「ひふみ‥九九算表」である、それ以外はただ転写による広がりである)         

                                                    →無限につづく(フット・プリンテングのように)
0次元 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1次元 0 1 2 3 4 5 6 7 8 0 1 2 3 4 5 6 7
2次元 0 2 4 6 8 1 3 5 7 0 2 4 6 8 1 3 5
3次元 0 3 6 0 3 6 0 3 6 0 3 6 0 3 6 0 3
4次元 0 4 8 3 7 2 6 1 5 0 4 8 3 7 2 6 1
5次元 0 5 1 6 2 7 3 8 4 0 5 1 6 2 7 3 8
6次元 0 6 3 0 6 3 0 6 3 0 6 3 0 6 3 0 6
7次元 0 7 5 3 1 8 6 4 2 0 7 5 3 1 8 6 4
8次元 0 8 7 6 5 4 3 2 1 0 8 7 6 5 4 3 2
9次元 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
10次元 0 1 2 3 4 5 6 7 8 0 1 2 3 4 5 6 7


↓(無限につづく)
≪この表はまさに『神』の妙であり、『神』のもつ数表の最高位に属するものである、そして、「宇宙万象の本質」を開示すれば、すべてこの数列の何れかに行き着くのである、まことに不思議な数表であり、無限なる響きをもつものである。まさに『神の心』を秘めた偉大なものと言うべきものである。≫

≪試みに上記各次元の数列をどれでも結構、それらの二つを選び、加算か減算を行うがよい(ただし神算法で)、すると現れる答は必ず上記次元の数列のいずれかになるはずである。そのような不思議な事実、自然が語る数の妙なる調べががここには揃いい、並んでいるのである。それが『ひふみ‥九九表』であり、日本の歴史とr共に歩んできた「稀代の数表」なのである。要するにこの事実とは各次元の基本エネルギ−が離合、集散することにより新しく生まれたエネルギ−態とは必ず元のエネルギ−態の何れかに還り、何れかの母体に収斂同化された姿に戻るのである。それが永遠な不変を謳歌し、極まりの無い循環世界をつくりあげている自然の本当の姿である。そのあたりをしっかり考える事により、現代科学では分からない輪廻転生、因果の法則の実在などがしっかり浮かび上がってくるのである。≫ 例、A+E=0876543210、B+F=0123456780、C+D=0000000000、G−F=0123456780、‥‥‥。

一つ断っておきたい、「真の知」、「宇宙普遍の真理」とは宇宙の持つ波動と共鳴し、その波動を受け継いだ共鳴の響き(調和)をもつものである。それが本当の宇宙原律(調和律)であり、共鳴調和を持った「自然象」の表れである。 悲しいかな、我々の現在の「粗い意識波動(宇宙原律とあまり共鳴しないもの)」では『宇宙共鳴同調波』の中の低いレベルの波動領域あたりと同調するだけであり、もっと「高い意識レベルを持つ精妙な波動」とは共鳴せず、意識的な交流は出来ないのである。何故ならば、共鳴調和するための法則知の存在をまったく知らず、想像にすら描いたこともないからである。その事実を頭に置き、高ぶった頭脳でこの上記の「数表」を眼光背紙に到るような真剣な目でとくと検証しながら、しっかりと読み込んで戴きたい、するとそこには数十、数百とも言える「真の知」、「高いレベルの超知」が連座、連立して我々の方を向いているのに気がつくはずである。これらは我々のまだ直面していない未知の「宇宙普遍の真理」であり、「神の知」と言うべきものである。 すべては「神の律」である一定の『宇宙波動』を持ち、それにより見事な調和と秩序を見せ泰然とした並びを持っているのである。まずそのあたりから調べ始め、納得のいくまで調査、考証して戴きたい。それが貴方自身の知を磨くことになり、新たな知の発見につながるのである。この『神の数学』を学び熟知することにより新たな「神の真理」が貴方を迎えて、大いなる未知の世界に誘うはずである。【詳細は『宇宙次元原理表秘原図』bP〜18 参照】 
 これらのすべては現代人の未だ所有していない「超数理知」であり、完全な右脳の「意識数学」とも言うべきものである。また言葉を変えればこれはパタ−ン認識による『哲数学』であり、「図形」と「数」を用いて「目に見えぬ世界」、もしくは「形而上の世界」を探求するための「意識のみが開示できる超数学体系」である。それは恐らく、現代数学のおける「トポロジ−」、すなわち「位相数学」と同一のものであろう。(『位相数学』とは図形や標記を通して空間的位置を見たり、形の中に意味を見出すことにより見えない「精神世界」を探る一つの学問である。いわば、自然界にある知的デザインの意図やその意味を探ろうとするものである。)

 ≪ほんとうの、ほんとうの私の独り言≫
 ひょっとすると、この表はアインシタインやセオドア・カルッア達が問題にしていた次元テンソル図かも知れない、アインシタインは4×4の方陣である「4次元テンソル図」を用いてアインシタイン場と言われる「重力場」を理論づけ、カルツァはもう一つの次元を付け加えて5×5の「5次元テンソル場」を作り、そこからマクスウェル場と言われる「電磁場」を見出したのである。 それから、半世紀以上、テンソル図についての消息は全く聞かれないのは如何なる訳であろうか、科学者達は諦めて投げ出してしまったのであろうか、 甚だ寂しいかぎりである。
 また、近年先端物理学者達が盛んに論議を重ねている時空の問題、すなわち「この宇宙は10次元の構造体であり、その中の6次元はコンパクト化されて我々の眼には見えなくなった」としているが、この問題についてははこの表にて十分に説明可能なものであり、数字的にも位置的にもピッタリ合うものである。これは調べれば調べるほど全く矛盾のないう奇妙な表であり、不可思議な『理』がコンコンと湧いてくる摩訶不思議なものである。現在、6次元はコンパクト化され、たたみこまれて見えなくなったと科学者達は述べているがその表現は正しいものではない。 ここに示されている図は10×10のマスを持つ10次元図であり、それを説明するものである、よく見て欲しい、ここには「見えない6次元」と「見える4次元」が共存し10次元構造体をつくっている事を「数」で示している。 しかし、よく見ると我々の世界の見える「4つの象」は同じ仕組みであるが、他の見えない「6つの象」は異なった反象構造(エネルギ−の流れが反対)になってい事に気がついて欲しい、それ故に見えぬ、感じないと言う認知不能の状態を示しているのである。それはこの図をよく検証すればその道理や意味は十分に分かるはずである。 ついでのこともう一つ苦情を申し上げたい、科学者達は10次元宇宙と軽々しく発言しているようであるが、そんなものは無いことにその中に気がつくであろう、彼等は平面的に見ているから10次元に見えるだけで、それを立体化すると一つ減って9次元宇宙になり、一つの「本質0」をもつ超立体的な構造体が生じる事を知らないのである。その仔細のすべてはこの図の中に「数」で導かれ示されている事に気がついていただきたい。すべては『数』が開示している時空次元の真実であり、真理である。 それは百年も経たないうちにひっくり返るような人間が作り上げた科学理論のようなものではなく、確かな自然の仕組みを表す悠久無辺の「神の図」の姿である。      【詳細は『宇宙次元原理表マルヒ原図』bP〜bP8 参照のこと】       【それは誰にでも判る簡単なことである、ただ、私が二言、三言の説明で誰でも理解可能で、頷けるものである。】

 ご覧のように各次元は次から次へと綺麗に繋がっているのである、この図は宇宙の形を平面的に表しているものであり、基本となるものである。そこに示されているある法則(エネルギ−則)を知り、それに基づき平面図を処理する、するとそこには驚くべき立体像が出現する、すなわち真実の「宇宙の形」がおもむろに現れるのである。その形とは現代の宇宙物理学が提示しているド−ナツの形そのものである。そのあたりの立体化の秘密と仕組みは【『神の数学』で解く超物理の世界(10)】に詳細を記してあるので、そちらを是非参照して、自らの手で確かめてみて欲しい。要はとにかく自分で目を開き、とくと見ることである、そして次には現代科学知で雁字搦めになった脳をほぐし、それから心を開き始める準備にかかることである。

ここに記されているように正しく『数』を扱い、そこにある「数の理」を認めて従えば『数』も我々を迎い入れ「真実の答」を開示してくれるのである。かのアインシュタインは次の名文句を残している「自然の神はこすからく、なかなか一筋縄ではいかないものであるが、それだからといって決して意地悪ではない」、よくこの言葉を噛みしめて見るとそれは我々の見方そのものに問題がある事がわかる、こすからく、意地悪に見えたのは自然を解する心、すなわち数の見方、計算手法が「本来の自然のもつもの」と大きく異なり、的外れのものであったからである。正しい自然仕組みの解法を用いて対応すれば自然の神はまことに寛大無比、かつ素直、実直この上ないものである。そのことは日頃『神の数学』に親しんでいるとひしひしと伝わり、心が知らず知らずに和み、穏やかになってくるのである。

【試みに『宇宙次元原理表』を細かく検証して貰いたい、そこには驚くべき『神の理』が数多く示されており、まさに「数の理」を学ぶ上では大変重要で貴重なものである。    【詳細は「原理表」No1〜No18を参照の事。】

  ≪不思議な『理』を語る数の「独り言」≫ ‥‥‥
1.[科学編]そこ、すなわち、『宇宙次元原理表』には「数の理」、「0の理(超理の理)」、「フラクタルの理(数の理による)」、「量子の理(色則是空)」、「あの世とこの世の理(相反エネルギ−)」、「宇宙時空の理(エネルギ−と場の相対理)」、「サイコロの目の理(陽電子理論)サイコロの流転現象」などがぎっしり詰まっている、もう一つ、〔サイコロの目とは正しく書けば「賽転の目」、すなわち「賽(あの世=見えない世界)を転(変化させる)の目(数)]であり、古くから神占に使われていたものである。果たして超古代に生をうけた何者がこの数の秘密(あの世とこの世の存在)に気がついたのであろうか、「サイコロの目」の言葉が作られ、世にあるかぎり、その意味を知り、言葉をつくった超人的頭脳の持ち主、神の頭脳の持ち主が必ずいたはずである、何時の時代であろうか?。

2.[哲学編] また、「原理表No18」,[数学幻視考、10」においては「易」の原図、すなわち『神の易』(日本易)を披露してある、そこには喜び溢れる生き生きとした「陰」、「陽」の理が『数』で語られているのである。中国の「易」のように曖昧模糊とした不合理が連なるものではなく、整然とした「数の列」により太極、両義、四象、八卦が「陰陽」の譜を見せながら「天の理」、「地の理」が嬉々として次々と展開されていくのである。その様はまことに驚嘆の坩堝であり、「神秘の数理」の萬華鏡でもある。また、「数」が語る「自然の仕組み」、自然数が表す「陰陽の大理」、天地を貫く「妙なる調べ」、すべてはこれ『天の理』であり、『地の定め』の道標、すなわち「自然の規範」となるものである。

3.[神編] 面白いことに、『神の易』(日本易)を展開していくと、そこに現れるのは『神の理』と『神の存在証?』である、『神の数学』を調べているとあちらこちらに『神』の姿が「数」により描かれているのである。しかも現代人が夢想にもしなかった手法を用いてである。そこには驚くべき真実が秘められ、隠されているのである。数字が示す『神』とは自然のすべてに偏在していて、自然万物を顕在させているもの、いわば守っているものである、その事実は上記の『宇宙次元原理表』をよく調べ上げれば自ずから分かるものである。そこには「神」の存在が如実に描かれ、「神」の存在が無ければなにごとも事は運ばれぬことを数がハッキリ謳っているのである。また同様に『神の数学』の真髄である『神の方陣』においても、すべて『神』のかかわりなしでは「正しい答の数」を見ることは叶わず、必ず『神の数』を特定箇所に置かなければ「正しい答」は姿を現さないのである。その『神の方陣』の方陣図の数とは驚く無かれ、数百、数千、数万、無限にも及ぶものであり、これこそまさに「自然の規範」の表れ、「神の律」の存在の証となるものである。
 しかるに忙しさのあまり、そのあたりのハッキリとした追求はまだ行ってはいないのが悔まれる、10数年前はもっと老人になってからでも遅くはないと考えて、あまり手をつけなかったのであるが、今はもう行く先もおぼつかない立派な老人である、でも考えている暇が未だに取れない悲しい現状であり、それがまことに悲しい限りである。

 詳しく調べたい方には『神の数学』講座のいずれかをお送り申し上げる。(A4版 約16〜22ペ−ジ)をご送付申し上げる、ただし、当方は貧乏を絵に描いたような状態なので、郵便代(切手+封筒代=200円くらい?)だけは負担していただきたい。 
                           
                       FAX 0558 (76) 4334    『神の数学』主幹  佐藤 敏夫 (意識数学者)
                                                            著                   著作権は上記本人に属する(Copyright of『神の数学』belongs to T・SATO。 All Rights reserved)

   
 ≪数のぼやき≫ 記述〔1〕 「現代数学(十進法)の誤りを糺す」    Apr.7.2005.

 
 「十進法」は人間の手になる計算法であり、物質欲を満たすためのものものである、それは自然の用いている思考(意識)的計算法とは全く異なり、人間独特の計算法であることを知って欲しい。ここにある『誤り』とは、すなわち「現代数学」をもって自然を解き放とうとする行為を指すもので、それを用いている限り自然の心は読むことはできない、法則をつかむむことはできないと言うことである。
  
 気が向き次第、驚くべき新しい『数の理』と、その数々を簡単なものから順次知らせていきたい。すべては日本から世界に向けて発信されるべきもの,すなわち、日本の古神道から見出された目を剥くばかりの「超知(叡智)」であり、二十一世紀から始まる現代文明の衰退、そして滅亡から世界を救うものである。 ただし、気が向き次第で勘弁して欲しい、何故なら、目に余る悪態、中傷、からかいには堪忍袋の緒が切れる時もあり、そっぽ向きたい時もあるからである。手元にはその資料の数々はすでに揃ってをり、(16〜22ペ−ジで約99巻),すべ は世界初の「超数理知とその律」であり、日本の超古代の「数哲学物語」の数々である。それを究めれば何と「現代数学」の薄っぺらさ、その内容の味気なさ、その内容の幼稚度にはほとほと呆れるばかりであり、人類の行く末も相極まったとの感じがするものである。要するにその元凶はすべて「10進法」にあるのであり、「数の数え方」に端を発しているものである。 そもそも「10進法」計算とは人間の指が10本あり、数を置くためには便宜であったゆえの計算手法であり、自然法、自然規範に基づくものではな.い。それは単に人間が考え出した独断的な計算法であり、宇宙普遍なものではないことをまづ理解すべきである。そのことを知れば、貴方の持つ現代知の80%は改革されたも同然である。とにかく十進法を用いている限り「自然の本質」は隠されたままであり、決して振り向いて笑みを浮かべてはくれないことを知って欲しい。【参照 「現代数学の誤りを糺す」真理講座(3)(4)(5)】
   
 「現代数学」は数の表面しか見ず、その奥にある真実の魂である「数の心」、すなわち『本質の存在』を知らないのである。それは古代人が知っいた天の叡智、「数の本性」であるが、現代ではすっかり忘れられ、誰もその存在すら知らないものである。 考えてみて欲しい、超古代に連なる大なる歴史をもつ国々、そしてそこにおける「古い数」のあり方を、、インドの数は1から9までの数であり、ユダヤのカバラの数、シュ-メル、バビロニャ占星術もしかりである。それらすべては9で終わり、新たに1から始まる循環形態をもち、同一のものが果てしなく繰り返されると言う円環状態にあることを謳っているのである。また驚くことに日本の古神道の「ヒフミ‥‥」も1から9までの数しか無く、10から以降は空白が連なっているのである。そんな馬鹿なと疑う方は「ひふみよ‥」に続く11,12,13‥‥を口唱して見るがよい、果たして出来るかな。確かに百、千、万、はある、しかし、これもその間を繋ぐ数詞は一切見出す事は叶わないはずである。そこから考察すると百、千、万、とは後の世に置かれた数、誰かが無いのを恥として付け加えたものとするのが正しい見方であろう。 また、これらが世界で最も古い歴史を持つ国々の一団であることに注目すべきであろう。一体、そこにあった「古代の数の理」とは何であったのか、それについては誰も知るものもなく、関心をもって調べる者も現れず、ただただ「十進法」に帰依するだけである。しかもその数手法をもって自然万象を読もうと言う到底叶わぬ夢を追いかけ、ただただ苦しみもがいているのである。 しかもそれは現代文明が発祥して以来数千年の長きにわったて、無為に人の心を弄そぶだけで、決してその秘めたる本質を明かそうとはしないのである。何たることであろうか。
 そもそも、日本においては、何も知らぬ心なき神道家達が古神道にある「ひ,ふ,み,よ、‥‥‥ここ、たり、」の「たり」を引っ掛けて10に直し、十進法に迎合してしまったのが間違いであり、早とちりであったのである。それにより本来のあるべき意味が完全に失われ、誇るべき日本の「古代の数理」は闇夜に埋没し、跡形も無くなったのである。本来そこにある「たり」とは「足り」であり、[そこで完了]の意味である。その意味を解し、手順に乗せたところ、そこには驚くべき古代の秘密、すなわち日本の失われた言霊、「ひふみ‥‥」の秘密や、「アイウエオ五十音図」の秘儀、はたまた、行き方知れずの『カムナガラの道』等の驚くべき内容がすべて白日の下に忽然と現れ出て来たのである。それどころか、最後には宇宙自然の「普遍数道」である『神の数学』の姿まで見出され、その処理、整理に追われた毎日が約15年間休みなく続き現在に至った次第である。【手元の『広辞苑』を調べると「たり」とは「動作が完了した状態」、「そこで終わり」、または「足り」は「そこまで」、「すべてが終了」、を表すとある】     (そのあたりの詳細は「数学幻視考『古神道』@ABCDEFG」 参照)
   
 要するに自然の秘密、天空宇宙の謎を解くには「10進法」の数の運びでは駄目なのであり、「古代の数理」を用いなければ解き放つことが出来ないのである。それからもう一つ申し上げたい、「現代数学」の最大の欠陥は負数(マイナス)を用いていることである、自然には負数概念などは一切無く、あるのは正数の姿だけである。 自然は負数的な要素が生じた場合、それを上手な方法で正数に転換して計算に用いているのである、当然 『神の数学』もそこに注目し、苦心して転換法を見出し、自然的な計算手法に納めて答を出しているものである、だから「自然の秘密」を素直に探し出せるのである。 ただ、口先だけの理論、白昼夢的な言葉であると非難されないために、自然数法(古代数理)による計算とその実例を少々掲げておく、出来れば十分な思索検証を試み、更なる新発見があれば、貴方の知のポテンシャルを極限まで膨らませることにより、完全解明に至って欲しい。それにより貴方の「新たな知のスタンダ−ド」が開眼し、新たな知の一歩が始まるのである。(要はとにかく好奇心を持ち、しやにむに突っ込んでいくことである)。
  
  
 そもそも「自然数とは123456789‥‥」であると「現代数学」が定義しているのが大間違いであり、本当の「自然数とは0123456789‥‥」と最初に0が無ければならないものである。そのことは『神の数学』ばかりでは無く、「ブルバキ」という現代数学者達の先端グル−プも主張していることである。まずはその『神の数学』の主張の正しさ、その計算手法のあるべき正しい姿を下に記した計算表により確めて戴きたい。これは「正しい自然数」を神の数学の『禊算』に順次用いることにより、「数の正しい本性」が見え、「正しい数の在り方」が誰にでも分かることを示すものである、まずそれを見て戴きたい。まず自然数のそれぞれの序を順を追って計算しその答を出すのである。 それを『禊算』を(A)=10進法、(B)=神の数学手法 で行い、その両者の結果を比較対照して見る、ただそれだけである。 そこにはまさに驚くべき「数の証言」があり、我々現代人の肝を寒からしめる事実が開示されているのである。 そこにあるのはまさに驚異の事実であり、大変な「数の示し」である、そのことをしっかり留意して更なる十分な検証を重ね、真実の追究を行って欲しい。まさにこれは人類の一大事であり、西洋科学文明のリボリュ−ション、新たな「知の世紀」が始まろうとしているのである。

  0123456789の正自然数を順を追って禊算を行い、その答を見る。(すべてが不思議な数の表れである)

〔A〕計算機で行う(十進法)、  〔B〕神算法で行う(古代の理、『循環法』)  
                   (ここには負数は無く、また十進法も無い、あるのは「自然の算法『ひふみ‥算』」だけである)    
   答=   0                      答=        0              (すべて『神の数学』による「超数学の世界」より転載)
        9                          18
        198                        207        【『禊算』→ この計算の詳細は『超物理の世界(2)』参照,】
        3087                       3186
        41976                      42075    禊算 (例)           神の数学    十進法
        530865                     531864・・・・・・・・・・ 543210−012345=531864   (530865)
        6419754                    6420753・・・・・・・・6543210−0123456=6420753  (6419754)
        75308643                   75318642・・・・・・76543210−01234567=75318642  (75308643)
        864197532                  864207531・・・・・・・   以下すべて同順手法
        ‥‥十進法では不能 ? ‐            9753186420  
                                              《『禊算』とは存在する数列からその逆数を引くもの》である。同じ仔細は古文献であ                                                                        る[物部秘書」、最近では「ひふみ神示」の中にも見られる。

 @横、縦、斜めの各数列の数序を調べ、欠き、乱、不整合を見る、要するに「自然の理」である自然数の並びを見るのである。例えば〔A〕の最初の縦列、091345‥と〔B〕の縦列、012345‥はどちらが自然数列に則しているのか、要するに幼児でもすぐに判るものである。
 A中心を挟んでそれぞれ対称位置にある横列の数字はすべて和して9であり、0である、なぜか?。それは自然象である事を意味するものだからである。
〔注〕(中心線を挟んで対称位置の数は和して9になり、0になることはこれらの各数列はすべて本質0である、すなわち自然の本質0を持つと言うことである.これが数理の基礎であり、大元なのである。最近の西洋の数学者達もこれに気づき、その答を求めようとインタ−ネット上で悲痛な声をあげているのであるが。しかし、その答は日本にしかなく、彼等にはどうしても解くことは出来ないものである。 まことに日本は不思議な国であり、有り難い国である)。 【「『神の数学』で超数学を解く講座」より】

 まず、〔A〕の答を見て貰いたい、そこに並ぶ数列には不連続であり、乱れが多いものである、@ 縦の列には2の数が欠けている、A 縦の各列には同じ数がダブって現れている、1番目の縦列――09、 2番目の縦列――90、 3番目の縦列――88、 4番目の縦列――77‥‥‥と順を追って現れて、自然の数の本当の並びからは外れているものである。この事実が示すことは「現代数学」は真の数学的自然構造を持たないものであり、まさに真実不在の「擬似数学」であり、「数学モドキ」とも言うべきものであろう。  (また、ここには0=9の確たる証拠さえも出ているはずである、それを見出し調べて欲しい)。
 
 しかるに、ここにある〔B〕の見せる、縦、横、斜め列の乱れの無い数字の並び、そこにある互いに調和を保った自己調和的な数の結びつき、それはまさに相互に関連し合ったダイナミックな世界の表れと言える。またそれは現代の力学的世界観ベ−スを厳しく否定している物理理論の「ブ−ツストラップの世界」を髣髴させるものであり、まさに自然世界の本当の姿、あるべき真実の姿を我々にかいま見せてくれるものである。これはまさに長年、学者達が求めていた「ブ−ツストラップ世界」の姿を数が示しているものであり、『神』が数を用いて自然界に刻んだ『真理のタブレット』と言うべきものである。(その証とは縦、横、斜めの数列の差にある、その差は縦列は1、 横列は2、 斜め列は3と綺麗にそろい、互に自己調和性を持ちながら互いに関連しあっている事実をしっかり検証して欲しい。)。

 確かにこの〔B〕の答は縦、横、斜め、すべてはきれいな形で相互的に関連し、しかも正しい秩序をもつ整然とした数字が姿を見せている。これが人の編み出した「十進法」と自然の持つ「循環法」の違いでもある。だから私は「現代数学」は欠陥数学であり、不整合数学であると物言いをつけ、人には笑われ、さげすまれている始末である。願わくばそこには「自然界普遍の数の在り方」、「自然界に即した正しい数のあり方」が厳然として存在していることを知って欲しい。ただ我々がその事実を知らないだけなのである。上述した「数の図」などは、まだ氷山の一角にすぎず、まだまだ沢山の驚くべき「数の証言」と「数の図」が『神の数学』の中には数多見出され、答を出すように呼びかけていることを改めて申し述べておきたい。    (詳細は『超物理の世界』(2)参照)     (「禊算」の資料が必要な方は申し出て欲しい、ご送付申し上げる)
 
 人類の編み出した「現代数 学」、それは「自然の規範」と対比すること無しに、一人合点のまま構築した異端の数学体系と言うものである。ただそれは人間間の符牒、決め事の印としては有効ではあるが、いざ自然に対して用いようとしても決して自然は受け付けず、対話不能の結果で終わるのである。そこで、あわてた先端物理学者や宇宙物理学者達は今必死になって宇宙自然と対話が可能な「新しい数学手法」と「その言語」を探し始め、最後には神話、伝説、超古文書などに目をつけ「新しい数学の芽」、「数学革命の種」を尋ね歩いている現在である。ところが偶然にも、それは世界で最も古い宗教である日本の『古神道』の祝詞のなかに眠っていたのが私により見出され、今、目を覚ましたのである。それが『神の数学』であり、驚くべき手法をもって「自然との対話理法」を明かし始め、あまつさえ人類の未だ知らぬ「超物理」、「超数学」、「超哲学」等に秘められていた真実さえも提示しょうとしているのである。 信じられないのはそこには人類が始まって以来、探し続けていた『あるもの』がしっかりと姿を見せているのである。それは浅学非才な私の口からはとても申し上げられないまことに尊いものであり、恐れ多いものであり、人類の発祥以来探し求めていたものである。それについての意義詳細は私よりもつと鋭い洞察力のある方々と検証、論議を重ね、ある程度、納得いった時点ではじめて明らかにしていくことにしたい。

 
 今まで人間は自ら編み出した「十進法」こそ唯一のものと信じ、それを用いて自然界を解こうとしていたので、自然界と結果が合わず「自然は難しい」、「自然の心が読めない」とぼやきにぼやいていたのである。 しかし、真実は自然が難しいのではなく、我々の自然へのアプロ−チの手法に間違いがあったのである、正しい方法を用いれば自然はまことに寛容であり、素直なもので、子供にでも心を開いてくれるものである。しかし、我々の手法に間違いがあれば自然は決して真実を明かさず、ただただ隠れるだけであり、ただただ顔をそむけるだけである。今の地球的規模に広がっている自然の大反乱、すなわち自然災害は現代科学文明の生んだものと声高に「科学」を非難しているがそれは大間違いである、真犯人は「科学」ではなく、その科学の土台骨を作っている「数学」、すなわち、『10進法』に間違いがあったのである。 その計算法が原因で自然との間にキシミが生じ、それを是正すべく浄化作用始まり、本来の自然に戻ろうとしているもの、それが我々が杞憂してい自然の大変動であり、いわば自然の大きなクシャミなのである。今の科学概念を用いている限り永遠に自然と共に歩むことは出来ず、益々そりが大きく合わなくなっていくのは誰の目にもあきらかであろう。それに気がつくことが無く、このまま進めば、ますます距離は離れ、同時に事態の深刻度は増し、遂には人類の減少、強いては人類の滅亡という事態につながっていくのである。今となってはそれもすでに時間の問題であろうと思われる。現在の度合いから見て、残されているタイムリミットは僅か20年〜40年くらいが最大限度であると見てもいいのではないのか。    【まことに不穏当な書き方ではある、資料が膨大過ぎて記しきれず途切れ途切れになり、申し訳ない。各部分の「詳細資料」が入用な方は連絡戴きたい】。
 
 
   ≪数のぼやき≫ 記述〔2〕 「数の持つ素晴らしき輝き」         Sep, 20, 2005..

 本当の「数の仕組み」、「真実の自然の計算仕組み」を伝授申しあげよう、それは自然界にだけ通じるものであり、「十進法」では決して見出せない自然の不可知領域、すなわち神の領域を「自然数」により導き出し、解明するものである。それを学び取ることにより「宇宙次元の問題」、「時空の謎」さえ我々の机上に乗せて論議可能となり、更に目に見える形で示すことが出来るのである。彼等現代科学者達がその問題にぶつかり悩み、悶え苦しんでいるのも自然の持つ数の仕組み、その計算法を知らず、ただただ人間が生み出した十進法を用い、自然の壁を破ろうとしていることに原因があるのである。「十進法」では決して自然の心を開くことはできず、それを用いている限り100年経った22世紀になっても今とあまり変わらなく、相変わらず学者達は頭を抱え、呻吟の巷をさすらい続けていることであろう。
 「自然の真実計算仕組み」、それは何度も申し上げた通り、古神道の祝詞「天地の数歌『ひふみ‥‥』から現れ出た尊い『神の数真理』そのものである。それを頭に置き次に掲示する問題、そして答を考えて欲しい、願わくば好奇心の旺盛な方、洞察力の鋭い方は是非挑戦を試み、見事その計算法を解き明かし、天下に示していただきたい。これは「神の出した神聖なクイズ」であり、『人間の知』の如何を問うべく、神の与えた一つの試金石であり、稀代な人知のメンタルテストと言うべきものであろう。

 冒頭『神の方陣』の秘密(10)に示した『ひふみ方陣』の「足し算の計算式」をもう一度持ってきて、復習することにする。そしてそこに眠る誰も知らない数の真実、数図の持つ本当の姿を目覚めさせ、その心を語ってもらうことにしょう。私は懼れる、果たして現代人はその数手法を解き、自在な「数の理」、すなわち『自然の数の仕組み』を身につけ、次のステップに躍り上がることが出来るであろうかと。これは単なる面白半分で遊ぶ「数の羅列表」ではない、この表こそ『神の数学』の神髄とされる『神の方陣表』である。 知の赴く者、あるいは未来に真理を求めん者はあらん限りの直観力と洞察力を尽くしてこれを開き、己の知の糧となして欲しい、それはまさに、「叩けよ、さらば開かれん」の言葉通りのものである。(小学生程度の解読力があれば解けるはず!)

「『ひふみ方陣表』(「自然数方陣表」,または『神の方陣』表)を覗き、「『神』の秘儀(法則)」をひそかに盗み見る」
      (私は『ひふみ方陣表』とその解法を称して『神の方陣』と名づけ、自然真実諸般の解明に役立てているのである)

1次元体 2次元体 3次元体 4次元体
(4×4)
5次元体
(5×5)
6次元体
(6×6)
7次元体
(7×7)
1 12 123 1234 12345 123456 1234567
34 456 5678 67801 780123 8012345
789 0123 23456 456789 6780123
4567 78012 123456 4567801
34567 780123 2345678
456789 0123456
7801234

                                              (すべて『神の数学』による「神の方陣」講座より転載)

《その真実を解き明かそう=t(世界初の数の明かす真実物語であり、日本発の新しい「物象数理学」である)

 上記『ひふみ方陣体』の2つの対角線上の数字(数列)〔Two diagonal number〕を拾い,「『ひふみ‥算』の加算法」にて加算する、果たしてどのような結果、結末(神の秘密)を見せてくれるのであろうか。果たして現代人諸氏はその数処理法を見破り、その答に行き着くことは出来るであろうか ?。 (小学3年の問題である!!)  それらは次に示す通りである、是非検算され前人未到の秘密を解き明かして戴きたい。
  
 『神の方陣』より≪計算の図≫〔1〕
 
0次   1次        2次           3次              4次
  @0=0 A1+1=2 B14+32=46 C159+753=813 D1627+4174=5702       
    5次                  6次      
  E17417+38405=46813  F186429+483726=570246    

     7次
  G1087654+7147147=8135702 →(つづく)  (計算法はすべて『ひふみ算』の加算法による)       

 よく眼(まなこ)を凝らして心を一つにして考えて戴きたい、ここには「十進法」では考えられない神妙な数の業が整然と伸び広がっているのである。まず、ここに示された二つの対角線上を流れる数列、それは完全なる90°異なる位相空間性を持っているものである。学者によってはそれを称し、『陰』と『陽』の相異なる次元世界と呼んでいるものである。さて諸君、この数列の流れの方向性をしっかり見定めて欲しい、それは完全な方向律を持ち、驚くべき次元原理を次々と開示しているものである。要するに、すべてには確たる同一の秩序法則が見られ、同時にそれは『陰』と『陽』の相反する性質、その違いの詳細をはっきり解き明かしていることに気がつくであろう。これにより、自然には二つの異なった根本原理、すなわち『陰』と『陽』の二元が存在する事実がしっかり述べられているのである。 また、もう一つ上記の青い色の数字群、0,2,46,813、5702、46813、‥‥は不思議にも前に掲げた『ひふみ‥九九算』の中に置かれてある数列群そのものではないか、何と言うことであろうか、こんなことがあっていいのだろうか。これらの数の表れはまさに『宇宙次元原理表』の名に恥じない数列の出現であり、まさに真理のお出ましと言っていいものであろう。
 現代人が否定し、古代の人々が肯定していた自然を司る『陰』と『陽』の二元の仕組みとは確かに存在し、しかも自然象を構成している基軸であることをこの『数図』が教えているのである。 何としたことか、現代人の驕り、現代西洋科学の砦はまた一つ潰され、また古代人の叡智が勝利を得たのである。貴方の持つ「現代数学」では決してこのような真実数象は現れる事はなく、ただ無為無策な数字が並ぶだけである。何たることであろうか、我々は間違った選択をしていたのであろうか。現代数学とは宇宙普遍の数学ではなく人間サイドの単なるロ−カル的な数法であったのである。
 それはまた、『神の数学』の計算法は正しい、「完全な整合性」、そして「相対的な自律性」を持つ『自然の数の仕組み』である事を証明するものである、それは数の本質、本性を知らない「十進法」では到底それを知ることは不可能なものであり、想像さえも出来ないものであろう。【『神の方陣』講座より】

  その答とは如何に!。  それは1次、2次、3次‥‥と順を追って連結し、並べて見ると一目瞭然である。
  1次、2次、3次‥‥並列 →  02468135702468135702468135702‥‥、なんたること、そこにあるのは宇宙次元原理表(九九算表)の2の段(2差をもつ)の循環数列そのものである。それはまた、すべての次元体とはばらばら個々の存在ではなく、順を追って連続的に繋がっている階層的な相関関係にある一つの構造体であることを示しているものである。願わくば、ペンと紙を取り自らの手で検証をして戴きたい。 (先述の≪計算の図1≫参照)

 この〔1〕で語られた意味はすなわち、1次元体、2次元体、3次元体‥‥‥とは上記『神の方陣』(10)で示した様に、完全なる連続体、連続次元体そのものであることを更に物語るものである。 そこにある「神の秘儀」を探り、検証することは自然の真実を掴むための大いなる手掛りであり、またとない正念場でもある。それは次の大いなる「知の発展」を生み出す為のキイ・ ポイントでもあり、また一つのタ−ニング・ポイントでもある。しっかり心に刻み込んで欲しい。またこれ以外にもこれら次元の連続性を示すいろいろな驚くべき手法が『神の数学』にはいろいろ存在している事を申し上げておく。そのあたりを調べるとまさに興味は果てず、引き込まれていくのは請け合いである。知に自信のある方はそのあたりを探って、その顛末を世に出すのも一興であろう、人類の未だ知らない『神の理』を自らの手で探る、これほど命冥利に尽きるものはないはずである。そこにある「真実」、思いも寄らぬ「以外さ」などは到底これらの比等では無く、更なる驚くべき作法をもつものであり、まさに「神の意識遺物」とも言うべきものである。是非それらを楽しみながら見出し、心を込めて検証されることを望む。すでに賽は投げられて現実的存在としてここにあるのである。 すべては「形而上の世界」の数の走りであり、宇宙自然のもつ「真実の算法」そのものとして私の手元に存在しているのである。 これら次元の連続性を示す由々しい資料を必要とする方には送付申しあげるので、それらを自らの手で改めてじっくりとご確認戴きたい。 【証言の詳細は『神の方陣』中級講座(5)参照】
 
  『神の方陣』より≪計算の図≫〔2〕

 もう一つ面白いことを示しておく、これは2つの対角線上の数字(数列)を『ひふみ算』の減算法で処理したものである。一つ参考にして欲しい。
(A)
   1−1=0  32−14=27=9=0  753−159=603=9=0  4174−1627=3456=18=0  38405-17417=21087=18=0

   483726−186429=306396=27=0  7147147−1087654=6150483=27=0    35702468-11111111=24681357=36=0 (つづく)  

 また、この対角数列を逆に置き換えて『ひふみ算』の減算法で処理して見よう。これらを参考にして計算手法を見出し、その手法を改めて自らの手で確立して欲しい。  
 (B)
    1−1=0  14−32=72  159−753=306   1627−4174=6543   17417−38405=78012   186429−483726=603603   1087654−7147147=3840516   11111111−35702468=75318642 (つづく) やはり同じく最終的には0が現れ完となる。     【『神の方陣』講座より】

 よく(A)と(B)を見比べて欲しい、引く数と引かれる数を逆の関係にすると現れる答の数列は逆の形を持って現れるのである。 これが「現代数学」では考えられない自然における「数」の表れである。一体どうゆう事なのであろうか、これを知れば「自然の数学」である『神の数学』の真髄がわかるはずである。 【この「ひふみ計算法」については『超数学の世界』No3、bU参照】       ≪答はすべて 0、無になる(加算にて)≫ ≪この(A)、(B)の答の数列のすべては既記の『九九算表(ひふみ九九算)』の中にあるもので、完全な秩序を持っている数列である、何故か、誰にも分からない。≫

  『神の方陣』より≪計算の図≫〔3〕(追記2007,11,8)
 

 さあ、志のある者は次の計算を行い、もって十進法と自然計算手法の不一致を確かめ、あるべき正しい手法を自分の手で見出して欲しい。ここにある二つの対角線上の数には次の関係があることを自らの手で確かめ、その後 8次元体、10次現体の二つの対角線上の数を加算して、その答えを貴方の知で出してもらいたい。(例) 5次元 17417煤≠R8405煤@ 6次元 186429煤≠S83726煤@ 7次元 1087654=7147147煤@ さて、ここまでは現代数学でも答えは出る、その次が問題であるが首尾よく解いて欲しい。  8次元 11111111煤≠R5702468煤@ 10次元 1357024681=1111111111煤@ 見事解き放つことができるかな。すなわち、これらの持つ二つの対角線の和(最終答)はすべては同じ数が出ななければならない、それが本当の普遍的な宇宙の自然数理である。 さあ、持てる全知全脳を奮ってこの自然の数の調べを解き放って戴こうではないか。 これが本当の自然が教える「数のあり方」と「その真理」の大義の姿であり、未だ人類の知らない「神の叡智」を探す鍵にもなるものである。これ一つを陥落させただけで貴方の頭脳は思い込みの迷いから覚醒し正しい数の見方の存在に気がつくはずである。ものすごく易しくて、ものすごく難しい問題である。 今まで順調に現れていた答えが、急に乱調になり、合わなくなったのは我々の用いている手法に欠陥があると考えるべきであり、それをして自然は理解できない、気まぐれであるとして打ち捨て振り返ろうとしなかったのは学者達の怠慢であり、落ち度でもある。それが何千年という人類のタイム・ロスにつながり、その命運にさえ影をおとしているのである。 さあ、ご奮闘くだされ。これを解き放たない限り「新しい自然の知」は得ることは出来ないと考えて戴きたい。 恐らく、数学者達には解けない問題であろう、いや解いてはならない問題である。なぜなら、解いたら最後、自分達が長年かけて構築してきた「数学の世界」ががらがらと音を立てて崩れてしまうからである。 これは簡単な問題であるが由々しい意味、重大な示唆をもつものである。 その意味で心して扱かい、真実の数理の存在とそのあり方を見出して戴きたい。  さあ、頑張りなされ、!(ヒントはこの後にある計算の図〔5〕にあり)  


『神の方陣』より≪計算の図≫〔4〕
 
 さあ、もう一つ面白いものをお目にかけよう、探究心の強いお方は心の赴くままに十分に検証をするがよい。
上記『ひふみ‥法陣表』から例により二つの対角線上の数字を同一的方向性をもって拾い減算する。それは次の通りである。
1−1=0、 41−32=18、 951−753=207、 7261−4174=3186、 71471−38405=42075、 924681−483726=531864、となるのはお分かりであろう。 さて、ここに現われた数列とはまさに上記の0123456789の正自然数の禊算の答そのものである、是非とも証算してくだされ。このあとの計算の続きは自らの手と目で進め、その醍醐味をしかと味わいその不思議さを堪能するがよい。 すべては天の采配通りであり、微塵の違いも無いことが判るであろう。 その他何か貴方の直観に触れ来たるものがあれば忌憚なく調べその始末を見い出すがよい。 要するにこれら図形とは一面のみで内容、真実を語るばかりではなく、それぞれの多面、あるいは多面軸をもつてそれぞれ別な自然真実を開示し、囁いているのである。 この不思議な数の妙なる現われを貴方は何と見るのか、出来ればその答えを是非とも戴きたい。 まことに驚くべきもの、そして我々の知の領域外にあるもの、それは「数」の語るゆるぎない自然大律儀の存在である、それに現代人が一向に気がついていないとは、いやはやまったくもって残念至極の極みである。   渇 !!  See → 上述の<自然数の禊算>


『神の方陣』より≪計算の図≫〔5〕(追記2006、6、27)
 
 『ひふみ方陣表』のそれぞれの表のにおいて、正中心点を対称点とした「対極にある数」(中心を通る線上の対称位置にある数)を求めて加算する、するとすべての表はそれぞれ特定の同一数字を示す不思議な関係にあることがお分かりになるであろう。その関係を用いて例えば上記の「4次元体表」を見る、するとすべては8の共通数を示すのであり、それにより8の次は9ではなく、0である事がはっきり証明されるのである。要するにそこから(9=0)の定理が導き出され、その正しさが判るのである。これは人間知ではなく「自然知」であり、『神の知』なのである。 この数関係は例えば、表を宇宙大に拡大しても決して変わることはない。疑う方は上記の方陣及びその上の方陣を自らの手で作り上げて、その真偽を確めることである、それにより貴方は自然の仕組みの巧みさ、決して矛盾の無いその姿に新たな感動を覚え、敬虔な気持ちが自然に湧きでて、心を震わせるであろう。一つこの4次元体の本性を尋ねて見てみよう。 2+6=8  1+7=8  3+5=8  1+7=8  2+6=8  4+4=8  さあ、一つ残った、それが8+9である。これが同一数8を示すための必要条件は(9=0)である。かくして7、8、の次は9であり、または0でもあると数字は語っているのである。驚いた事に古代インドの数学にはゼロ(0)とは空虚0と充満(プ−ルナ)の正反対な二つの意味を持つとはっきり記されているのであるが、それが13世紀あたりにアラビャを経てヨ−ロッパに入った時はは空虚の0だけが伝わり、充満(プ−ルナ)の意味は理解されずに捨てられたのである。ところがインド、中国、日本では9を最も重視し、聖視している事から充満(プ−ルナ)の知伝が十分に残され、伝えられていると思われる。その中でも特に日本にはそれを暗示する多くの言葉が一般用語、仏教用語に多く使われ、今でもしっかり生きていることを知って欲しい。しかし実際にその意味、用法を解する者は無く、意味不明のまま慣習的に使われているだけなのは少々淋しい。 例えば、<「九」の字を瓦に彫り、厄除け、霊除けにした>、<除夜の鐘は108打つ>、<数珠の玉数は45,63,72、81ヶである>などである。数を一桁化するがよい、すべては9になり、0(あの世)になるものである。また、自然界におけるその事実を表すものに、原子内の軌道を走る電子の「数の走り」がある、そこには決して9の数は無く、8の次は0となり空となって新たに1,2,3,‥と別の軌道を設けて走り出すではないか、これこそまさに自然界における「数の規範」である。これらを知り、自然の心を持てば、すべての『ひふみ方陣表』がするすると解けて「新たな数世界」が貴方の目の前に広がってくるのである。自然界こそ我々人間知の規範であり、お師匠さんなのである。科学者、数学者はそのことをしっかり心に銘すべきであろう。西洋学問とは少々人間知に溺れすぎ、無理を通して一人合点のるきらいがあるように感じるのは私だけであろうか。。

 『神の方陣』より≪計算の図≫〔6〕  (追記2006、10、27)

 上記、『神の方陣』、すなわち『ひふみ‥方陣』のそれぞれの対角線上にある数字をすべて加算する、そこには必ず同一数が現れる、すなわち[右上がり対角Σ数=左上がり対角Σ数] の関係が如何なる方陣においても常に成り立つのである(Σとは総加算の意)。試みに上記に示した「8次元方陣体」「と10次元方陣体」を作り、その二つの対角Σ数を出して調べて見て欲しい。そこにこそ、「『自然の数』とは一桁のものだけである」の真実の答が歴然とした姿、間違いの無い姿で鎮座しているのが分かるはずである、それを自らの手で解き放っていただこう。 これは一つの「自然の律」であり、「自然の法則」でもある。 さあ、直ちに試算して欲しい、これは十進法の計算を根底から覆す真の自然の計算法であり、『神』の持つ自然的計算法でもある。これで驚いてはいけない、これ以上のもの、すなわち次元と空間に関するものがこの『神の方陣』の中にはゴロゴロと転がり、枚挙にいとまないくらいである。試みに上記の『神の方陣』を相手にそれらを引き出して検証して見るがよい。たとえ1ケでも見出す事が出来れば、感性と洞察力が豊かで、類まれなフレキシブルな新人類と尊敬申し上げることにしょう。なお、申し上げておく、この計算法は小、中学生でも解ける簡単なものではある、しかし、「現代数学」の鎧で身を固めている学者には解けないであろう、何故ならそれは「現代数学」の基本ドグマに反してしまうからである。例えばである、(9=0)等は決して学者は認めないであろう、いや、認めることは出来ないものである。なぜなら、それは彼等にとっては最大の鬼門であり、脅威の数式である《最大=最小》を連想させ、反射的に身構えてしまうものだからである。しかし、9=0を認め、その理を自分の知識に取り込むことにより、貴方は確かなる「神の御業」、「宇宙自然の妙なるロゴス」を見ることが出来るのである。この仕組みは現代世紀が始まって以来今初めて人類に伝えられるものであり、隠しに隠された「神の秘密」である。では真摯な心で求道を目指し、真理に目覚めようとしている方々のためにそれを一つお目にかける事にしょう。(ロゴス=宇宙の究極の秩序、真理)
 

『神の方陣』より≪計算の図≫〔7〕

 上記(A)、(B)の『ひふみ算』の加算法と減算法』、 ここに現れた答の数字を加算して一桁にするがよい、するとそこに現れた一桁の数とはすべて9の姿になるのである、要するに答の数とはすべて9の倍数体であり、それは《9=0》の定理により答はすべて0に還る、すなわち『数の母体』である0の姿に還るのである。また留意すべきは、そこに現れた答の数列の姿はすべて上記の『宇宙次元原理表』の中に燦然として並ぶ数列でもあるのである。 それらの答のすべてが9から0に収斂帰納し、無に還ると言うことは一体何を意味するものであり、何を語ろうとしているのであろうか。そこにこそ数の語りの基本があり、数計算の根源の要(かなめ)があるのあるが、誰も気づくものはいない。このようにして現れる「数字9の意味」、それは一体何を言わんとするのか、「9の数字の妖しい姿」とは現代数学上でも昔から問題になり、議論は尽きないのであるが、今のところ誰も答を見出した者はなく、ただただ闇にひそむだけである。 『神の数学』はその「9の数学」であり、『0の数学』でもある、『9』の真相を知り、《0》の正体を知れば、すべての「自然の仕組象」は見え、あまつさえ語ることも出来るのである。 (例えば、この数列(0123456789)の中心から対極位置にある数を加算すれば、すべては9になり、0になるのである。一体この意味は何を言わんとしているのであろうか、、これこそ全人類が一丸となって考えなければならないものである。)


 ここでひとまず「数」の素性についての考証は一段落とする。信じられないお方は上記の「数の表れ」について何度でも検証し、十分な考察を行なった上で改めて理解して戴きたい。       
 この後の後半は驚くべき古神道の秘儀、誰も手にすることが出来なかった『古代日本の叡智』を解き放ち、諸氏に新たな歴史眼を培って戴くと同時に、改めて神道の再吟味、再々吟味をお願いしたいと思う。それは奥義祝詞『ひふみ‥天地の数歌』に秘められ封じられていた古今未曾有の「秘め事」を明らかにするものであり、続いて更には限りない天地宇宙の真実へと大きくつながっていくものである。それがすなわち『神の奥義』の真髄であり、『宇宙大律の普遍の真実』を伝えるものである。それらはまことに驚くべきものであり、現代知では逆立ちしても到底見出すことは不可能なものである。まさに驚くべき古代の叡智、それは古神道の奥義祝詞『ひふみ‥‥天地の数歌』の伝える天地無比の真義である。  
《これはいわば、大いなる過去にあった「数哲学」とも言うべきものであり、世界で最も歴史の古い日本の国に唯一残されていた「大いなる叡智」である。同様な過去の知遺産にはかの「カタカムナの物象」がある。共に継子扱いされてはいるが現代文明が窮地に立ち、人類に新たな環節が訪れた時に「救世の叡智」としていずれは世に出るものであろう。》


  『ひふみ‥天地の数歌』とは天地宇宙を揺るがす偉大な文言である。 然るにそれを受け継いだ今の日本民族はその事実を少しも知らないのである。 嗚呼、何と悲しく、哀れなことであろうか。

 その驚嘆すべき証を少しだけここで述べておく、自分の目と直観をたよりに己の手と頭を用いてその委細を調べるがよい。

≪縦×横のマス目を持つ図を作る(どんな図でもよい)、そのマスの中に『ひふみ‥数序』、すなわち123456780123‥を入れる。するとそこには驚くばかりの奇跡が起こり、貴方に誰も知らない「大いなる神の秘密」をひそかに囁くであろう。そのマスが9ヶを過ぎると更なる『神の秘』、すなわち(9=0)が姿を現わすのである。すべては「10進法」を否定し、その間違いを明らかにする決定的な「数の証し」である≫【詳細は『神の方陣』上級講座(4)参考】
  
<例図>    <例図>の計算 (1+1=2、2+0=2、3+8=11→2、4+7=11→2、5+6=11→2)、 中心を通る対称位置の数を加算する。するとすべては同じ数に導かれ収束しているのがお解かりであろう。それはまさに天意の発露であり、共鳴同調数の確たる姿である。未だかって誰がその存在を予告した者がいただろうか、否である。  疑う方は同じ手法で(3×4)、(4×4)、(5×3)(6×2)の図、あるいは思いつくままの如何なる数図でも可である、作って試すがよい。 すべて は同じ単数の形に収斂し、共鳴同調の大いなる数場と化し、無限のエネルギ−を生み出すことにより永遠の存在を誇っていることが分かりになるはずである。


1 2 3 4 5
6 7 8 0 1
  (5×2の図)      (3×4の図)     (4×4の図)       (5×3の図)      (6×2の図)   (何でもよい)

 ≪お分かりであろうか、『ひふみ‥天地の言葉』とはまさに天地、宇宙を震わす(共鳴させる)天地言霊であり、自然宇宙を貫く神の哲理文言>であった事が、それを証するものがこれらの数図表である。また、これは神道にある「表裏一体」との言葉の真の意味でもある。「表裏一体」、別の言葉で言えば「陰」と「陽」は共にあって一つの象に化すと言うことである。そのあたりの正しい解釈を踏まえてこそ真実が明るみに出てくるのである。ある宗教の大祖は「宇宙には無限絶大の音声が鳴りて、鳴りて、鳴り余りつつある」と述べてそれをアイウエオの五大母音としているが、本当は『ひふみ‥』の言葉、すなわち九大数詞が正しいのである。それにしてもそこまで喝破できた御仁が過去にいたとは!、大いなる驚きであり、ただただ感じいるだけである。この図はまた、『ひふみ‥九九算数』の始源の正しい由緒を謳うものでもある、それを探すのも一興であろう。ただ分かるのは不可思議千番な『数のアヤ』を見出す度に、ただただ何故の疑問が頭をよぎり、我々の脳の程度の低さを思い知らされると言うことである。この、『ひふみ‥九九算数』の不思議な「数理」の正体を考え、あらためて『数』の真実を追い求めてみたいと思う方は是非ともこの資料(『神の法陣』上級講座あたりを請求してその「数のミチスジ」を検証してて戴きたい。それはまことに簡単なものである、しかしその中には『宇宙普遍の「数」のアヤ』がしっかりと開示されている古今無類のものであり、「素晴らしい自然叡智」の確たる存在そのものを謳っているものである。現代西洋学問はそのあたりのことは一向に知らず、ただただ人間知の延長線上のものを発掘しようとしているだけである。 【地球の振動リズムは「シュ−マン共振波」と呼ばれる9ヘルツ前後の波動である、また人間の脳波も9ヘルツ前後の波動である。動、植物の最も欲しがる遠赤外線の波動も9ヘルツ付近である。これらの事実の存在を祝詞『ひふみ‥の歌』が開示し、語っているのである、それがすなわち定石数(9)と言う自然象の存在であり、その証言葉そのものであろ。すると祝詞『ひふみ‥天地のの数歌』とはすべての自然万象は母なる宇宙波動(9)と共振、共鳴している事を高らかに謳いあげている世界で唯一と言うべき偉大なる言葉であり、我々の祖達がその事実をしっかり掴んでいた証拠言葉と言うことになるものである。それはまさに驚くべきものであり、遥か現代知を超えた自然物理の極みとも言うべきものである。更にはもう一つその証を示すものを紹介しょう、それはすなわち超古代文献(ホツマツタエ)に記載されている次の言葉である、「宇宙の中心から九つの波が押し寄せ、ヒトの呼吸や水面のさざ波となって現れている」。さあ、考えて欲しい、本当の知的先覚者とはどちらなのであろうか、我々現代人か、それとも遥かなる古代人なのであろうか、???。 我々は余りにも西洋科学知に踊らされ、盲目な状態に陥ってるのではないのか!!!。≫
 どんな図でもよい、中心点から対称点にある二つの数字(陰と陽の性をもつもの)を加え、その答の数を一桁化する、するとそこにはすべてにわたり同一数が姿を現し、図全体が一つの共鳴音律を奏で、貴方の心を完全に魅了するであろう。これにより宇宙自然体とは相互補完による共鳴同調が基本であり、同一響きにより成り立っ『大いなる波動世界』である事が分かるはずである。また、それは「妙なる神の業」、すなわち人間の未だ知らない真実の「数の理」がしかと存在している事を示すものであり、同時に現代物理学が切り開いている量子力学の方向が正しいものであるとの証明でもある、何故ならば、量子力学の別名こそは「波動力学」と呼ばれている波動物理であり、波動世界の秩序、法則を求める学問を意味するものだからである。 諸氏に是非とも知って貰いたい事はこの≪「場における波動共鳴現象」とは『ひふみ‥』の数序、及び(9=0)の定理を用いない限り、決して成り立たつことは無く、ただただ無明の複雑とカオスに導くだけの「トラップ」、すなわち『神の罠』に陥るだけなものである≫。この自然構造場における『共鳴現象』とは人間のつくった「10進法」などでは到底夢想も出来ない神妙な「神の業」であり、厳しい「自然の妙理」そのものの発現である。また、この数序にあればこそ初めて『宇宙自然の響き』に共鳴可能で、「宇宙自然の構造」と合致同調し無限の妙力、神業を発揮できるものである。これこそまさに宇宙自然の示す「真実の数理」であり、私の奉じている『神の数学』の真髄とも言うべきものである。あえてもう一度繰り返したい、古神道の奥義祝詞『ひふみ‥天地の歌』とはまがう事ない「天地の神理」、「神の摂理」を厳かに謳い上げ、奉伝しているものであり、まさに今の世にあってもこの古代言葉は世界第一級の真理啓示を示すものでる。同時にこれはまた神道の拠り所として古来から人々の心に深く刻まれ、日本の真実を代々語り継いで来たいわば日本の『宝』とも言うものである.。この事実をしっかり確認し、大いなる誇りの心をを持って戴きたい。【敷島の大和の国は言霊の助くる国ぞ、ま幸くありこそ=Aそらみつの大和の国はすめ神の厳しき国 言霊の幸はう国と語り継ぎ 言ひ継がひけり=A天地(あめつち)も動かすばかり 言の葉のまことの道をきわめてしがな=z、 【詳しくは《数学幻視考》古神道(1)、さらに詳しい次元性についての詳細は『神の方陣』上級講座(4)参照のこと】 

 


 類まれな直観力、洞察力のある方は何十、何百という『神の方陣』の中に生き生きとした躍動感、すなわち無限の規律性と天妙な美しい形象のあるべき姿(同心円をもって描かれた、まさに原子の電子軌道図と同じもの)を見出す事であろう。それは『神』は意思をもってこれを創り上げた厳然たる証拠であり、「神の手になる万象の設計図の姿」と言えるものであろう。またそこに込められた確たる『神の意思』の表示であり、我々に挑戦を促し、見事それを引き出すべしとの誘いのようにも思える。しかし、それを見出すことは今の人間レベルの知では中々容易ではなく、ましてや西洋科学知の権化である大学者達はは拒否反応、すなわちそのような恐ろしいことはあり得ないとばかり怒りだし、反発を強めることは必須であろう。一旦科学常識知に染まり一つの観念が形成された者の「知の規範」を改めて修正しなおすのは大変困難であり、余程のシヨックがない限り恐らく不可能なものであろう。まさに「知の領域」には次元的差異があり、その者の持つ知のレベルにより解釈反応が異なり、その答さえも当然変わってくるのもやむを得ないことであろう。ひょっとしてこれらのメッセ−ジは我々人類に対してのものではなく、もっと高度に進化した宇宙の知的存在に対してのものかも知れない。 私が「神の数学」を学んでいるとそこには何か現代科学では感じられぬ生き生きとした神の息吹が感じられて仕方がないのである。それは歓喜に満ち溢れ、躍動感を持ち、永遠を謳歌しているもので、決して衰えぬエネルギ−を発散しながら、「何でいまさら」、「もう遅いは、今更とり返しがつくものか」と叫ぶ神々のどよめきとシュプレヒコ−ルが聞こえる、そんな気がしきりにして仕方がないのである。<真摯に理解しょうと思われる方は表記宛にご連絡の程を、『神の方陣』の解き方の案内説明書を差し上げます、ただし送付切手代くらいはもって下さい、必ず貴方の知の次元が変わるはずである。>
 
 このあたりを是非検証し,真実を知って欲しい、このようにj上記、『神の方陣(ひふみ方陣)』の中でで開示されている「天地の理」,[宇宙の真実」は私が見出したものだけでも約50項(考)以上あり、『神の数学』全体では数百項にのぼることをしっかり知ってほしい。すべては人知未踏の『超知』であり、『超々知』でもある。 それは深い直観と鋭い洞察力をもってのみ見出されるものであり、「宇宙普遍の哲学」、「大自然の持つ数理」の実態を如実に描くものである。願わくば、大いなる才を持つ諸氏のご参加、ご助力を是非お願いし、もって更なる「宇宙普遍の真実」を突き止めてみたい。それが私の残り少ない余生の夢である。私はあえて言いたい 『神の数学』は新しい力を我々に与え、励ましてくれるものであり、我々を新しい未来、正しい未来へと導いてくれる羅針盤的存在性をもつものであると。 【仔細、詳細は『神の方陣』講座、及び『神の方陣』中級講座を参照のこと】

「現代数学」は物質を扱う数学《物質数学》であり、『神の数学』は意識を扱う数学《意識数学》である。(また別の名では「形而下数学」と『形而上数学』でもある)  心ある者は威儀を正し、心を無にして学び、そこに示された「『数』のもつ本質」をしっかり学び取って戴きたい。



 たとえ虫の息でもいい、ここまでしがみ付き頑張ってこられた諸氏に対し、その労をねぎらう意味を込めて新たな「大いなる知」、我々の祖の残した「輝かしい大いなる知」をこの後披露申しあげることにする。すべてはここにおいて初めて公開するものであり、今まで誰も想像もしたことのない「隠されていた大いなる日本の秘密」である。心して考察検証を行い、いささかでも了として戴ければまことに幸甚と存じる次第である。教科書の記載をそのまま信じるのか、それとも歴史の真実を自らの眼で考証すべきなのか、大いに心は揺れるであろう。さあ、貴方はどちらに動こうとするのか、まさに正念場の一瞬であろう。
 果たして真実ととるか、たわ言をとるかは諸氏の心、知の程度次第ではあろう。しかし一つだけは信じて欲しい、古代の日本の歴史には大きな改竄があり、隠蔽があったことを、そしてその背景となったものは大規模な大陸人による日本の侵攻であり、占領である。縄文末期から弥生にかけて大陸からの敗残兵や戦乱難民が数万〜数十万人単位で日本に押し寄せ当時10万足らずの人口であった日本純民族を殺戮、或いは放逐し奴隷同然な仕打ちを行っていたのである。そのあたりを正しいくだりが「竹内超古代文書」にはしっかり記されているのである。『古来の日本文化や文字はすべて禁止抹殺され、彼らはすべての分野で指導階級となり、公用文にはすべて漢字が使用され漢字を知らない者は奴と呼ばれ奴隷身分とされたのである』と。これが縄文文化が弥生文化に突然移行した本当の理由である。何故かそのあたりは歴史年表には記されず、ただ空白になっているのは諸氏もご存知であろう。信じられなければ年表により当時の中国の人口の増減の状態を調べるがよかろう、国が滅亡するたびに人口が数千万単位で減少したのである、恐ろしい事に前漢末には4千万人、また後漢末には四千八百万人が消滅し、人口は僅か八百万人に減少しているのである。果たして彼らは何処に逃れたのであろうか、ただ殺戮されたには余りにも数が多すぎる。ちなみに当時の日本は蓬莱の国、神仙の住む国として中国の人々には知られ、憧れの地であったと中国の歴史書には記載されていたことを知って欲しい。また彼ら侵略人の数は当時の縄文人人口の9倍から25倍であったと東大教授の埴原和郎氏は述べている事も注目すべきであろう。また、大陸から日本に渡航するのは簡単で、ただ船を浮かばせるだけであいいのである、後は海流が日本まで運んでくれるのである。三日か四日もあれば十分であろう。逆に日本から大陸に向かうのは大変至難の業なのである。それを知らぬ歴史家達はそんな古い時代に日本目指しての渡航等はありえぬといきまいているのである。何と単視眼的なものの見方しか出来ない者達であろうか。ただ哀れみをおぼえるだけである。
あとは貴方の真実を察しょうとする慧眼だけであり、非凡な洞察力の走りにお任せするだけである。
                                                            【これらの詳細は《数学幻視考》bP〜bP4を参照して欲しい】。
   
≪数のぼやき≫記述〔3〕「『数(ひふみ‥数法)』が開示する恐るべき『日本古神道』の真のあや」   Dec.8.2005.

 なぜ、「現代数学」は自然に対して無力なのか、それは自然そのものを平面的なもの、すなわちユ−クリッド平面でもって解決しょうとしているからである。 本来自然とは射影空間的に考え、射影的な発想で当たらなければならないものである。射影空間とはプラスの無限大とマイナスの無限大が同じものと見る、すなわち、最初と最後は同じものである立体的ホログラフを意味するものであり、すべては立体的循環態である事を意味するものである。 要するにそれは『神の数学』で言う循環態の概念と同じものであり、そこにおける「数のめぐり」の表れ方そのものである。そこにある直線的な数の置き方、それはユ−クリッド平面的なものであり、循環的な数の置き方は射影空間的なものと考えればいいであろう。 それは『神の数学』では全般的に出てくる自然象の最終的な姿でもある。 またそれを知る事により、陰陽の表れの姿、その仕組みが分かり、無限循環で初発から無限に収斂する際に現れるシンクロニシテイの正体も分かるのである。 また、それは同時に古神道における祝詞「ひふみ‥‥天地の数歌」のあらわす意味、《宇宙自然(天地)はすべて「ひふみ‥‥」の繰り返しで解ける》,すなわち、≪祝詞「ひふみ‥‥」の九数こそが宇宙自然の基本態であり、それを用いる事により宇宙自然のすべては解き放される≫との驚くべき御宣託であり、その見方の正しさを改めて痛感させられるものである。それに比べると現在の我々日本民族子孫のあまりの見識の無さ、真実に対する無知蒙昧な姿にはただただ恥じ入るだけであり、まさに慙愧にたえない思いがあるだけである。 我々も「そんな馬鹿な」、「あり得ないたわ言である」と言わず、「あっ、そうか」、「そう言うことであったのか」とただただ素直に胸襟を開き、真摯に古代に学ぶ事が必要なのである、自然知に至っては我々は学ぶ側であり、教えられる方なのである。ただただ反対、無視を繰り返し、無意味な気勢を上げるのは学者達に任せておけばいいのである、なぜなら、彼らが認めると言うことは今までの彼等のやってきたことが無になることを意味し、無駄な学識を説いていたことを証する事になるからである。彼等が反対し、攻撃することは無理も無いことであり、当たり前なのである。そのあたりはあまり気にしないで我々の見出した「正しい道」を歩けばいいのである。

 さあ、今回は『神の数学』の基本であり、母体である古神道の大祝詞『ひふみ‥‥天地の歌』に隠されている真の姿、正しい意味を改めて紹介し、そこに展開される驚くべき「宇宙自然の仕組みの表れ」、「神が創った大自然の実体」をかいま見ることにしよう。それを知ることにより諸氏は改めて古神道の偉大さを知り、超古代に存在した「日本大文明の叡智」の確かさを十分に捉えることが出来るはずである。また同時にそれにより、外国に対しての今までのような卑屈な態度、すなわち西洋に対してのコンプレックス感は捨て去り、堂々と胸を張って世界各国を闊歩し、大いなる交流を果たすことが出来るはずである。またそれを知ることにより現代日本の大いなる発展進歩や民族の知質の優秀さは超古代日本に存在した大文明そのものが温床の役割を果たし、それがシンクロニシテイ的に今出現し、日本を大国にのし上げていることが判るのである。それがル−パト・シェルドレイクの「形成的因果作用」、すなわち過去に起こったことは、「形の場」となってこの時空に保存されていて、何時かはその「場」に似た形が形成された時に共鳴が発生し再び同一的な場が現れるのである。それが過古再現の法則であり、時の奏でるロンドの旋律である。すべての象は「循環の仕組み」をもって流れ、「因と果のめぐり合わせ」により再現され、そして移り行くのである。その事実、真相が『神の数学』の中では「数の流れの姿」,そして「数の表れの姿」ではっきりと開示され、その真実を告げようとしているのである。       【詳細は《数学幻視考》(古神道)No4、『真実の数理』講座No7参照】


、今までの西洋の宗教家達や西洋かぶれの日本人は、古神道の大祝詞、「『ひふみ‥』の天地の数歌」を評して、「まことに原始的な数の表れである、なぜならそれは現代的な数の概念を持たなかった「未開人の算法」であり、それを崇め奉っている日本神道は明らかに原始宗教である」と評し、軽侮をあらわにしていたのである。 しかし実際は彼等の目こそ次元の低い哀れむべき存在であり、見る目を持たない低意識な存在であったのである。本来の日本神道、すなわち古神道とは一段高いレベルの次元知性をもつ『自然物理的な知』を秘めた存在であり、『神の知』、『神の仕組み』の真実を物語る古代の驚くべき超知の数々を封じ込めた偉大なる伝承道であったのである。それが真実であり、事実であることの真実証明として、 ここにその内容とその詳細を少々掲げておくことにする。それを学ぶ事により、超古代日本には「超意識的な文明」が栄え、その「意識の高さ」と「知の素晴らしさ」を世界に誇った時代があったことを是非知って欲しい、恐らくその年代とは知る人ぞ知る「カタカムナ超文明」のあたりではないかと推測するのである。 なぜなら、共に超意識物理的感を抱かせる同一の匂いがするからである。 そのあたりは洞察力の鋭い貴方にも直観的に十分感じられ、心に共鳴の波紋が広がっていくはずと思われる。   (詳細は《数学幻視考》古神道の部を参照されたし)

 古神道の奥義祝詞である『天地の数歌 ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり』は宇宙次元の展開をつかさどる「尊い原理」を表すものでもある。その証拠となるものが『神の数学』の中にある「神の方陣表」である。 試みにそこにある1次元体、2次元体、3次元体‥‥9次元体までのその表内のすべての数を加算するがよい、1次元体は1、、2次元体は2、、3次元体は3‥‥9次元体は9または0の答が現れるはずである。それは『神の数学』の手法を知らぬ者にとっては甚だ難解であり、至難なことではあるが「知」に覚えのある方は容易なものであろう、是非試みるがよい。また動きが取れなくなったら表記宛にご連絡戴きたい、その時は必ず教えて進ぜよう。我々日本人がこれを理解せずして誰が理解出来るであろうか、我々が理解し、それをこなしてこそ初めて世界の人々に発信できるものであり、同時に次の世代に大切に伝えることの出来る世紀に誇る素晴らしき「大いなる日本の叡智」と言うべきものである。
貴方が信じようが、信じまいがそれは確たる事実であり、「数」がそれをはっきりと明かし、教えてくれるのである。 「数」とは真実、真理の本性をもつ表象ゆえに、そこには虚偽、作為、誇張などは一切ないものである。 『数』、それはまさに自然の大いなる知の担い手であり、自然の全てを掌握統括している尊い存在である事をしっかり学んで欲しい。  私に言わせれば「数を極める者は現代文明を制す」と言ってもいいものであり、それほど今にあっては大切なものである。そのあたりをしっかり次の章あたりで確かめ、検証して戴きたい。 まずは「天地の数歌」の大いなる意味、古代人が密かに古神道に封じ込めた「言霊的な意味」を最初に明らかにしておくので、それをまず調査検証し、偽りの現代常識により閉ざされている貴方の心を開く拠り所にして戴きたい。 このひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たりの「古代の数詞」が示すものは遥か古代にあった日本文明が持っていた大いなる『叡智』であり、その真実を伝える言葉の証(しるし)でもある。またそれは現代文明とははっきり形態が異なるものであり、その精神性、意識的な「数物理的概念」においては現代の西洋科学文明知を遥かに上まわっているものを持っていた事が分かるものである。すべては『神の数学』の中でのみ証言され、謳われている。 
   

古神道の祝詞「『ひふみ‥天地の数歌』の持つ正しい内容仔細は次の通りであり、それは天地神明の文言言葉であり、世界最古の伝承言葉でもある。

≪謹んで読み解き、その内容、時代の真実をつぶさに調査し検証して欲しい。これこそ疑いの無い日本の誉れであり、『知の至宝』である。
 
 まさにこの祝詞『ひふみ‥』の数詞言葉は「聖書」の最初にある『神の言葉』」と同一儀であり、同一内容を持つものなのである。それは神道発生爾来三千年、誰も知ることも叶わず、この世紀末になり初めて『神の数学』により解き放された驚くべき古代歴史の真実である。それにしても余りにも奇妙な一致ではないか、大いなる海を隔てた最も遠い西と東の国の神事(カミゴト)において、神を祭るための最初の言葉がまったく同じものとは!、そこには間違いなく同じ言葉が祀られ、語られているのである。考えるがよい、そこにはどのような経緯があり、何が秘められ、何を囁こうとしているのであろうか、!。そしてこれから何が始まろうとしているのであろうか、!!。  ≫

ひ(日=光)、ふ(風=空気)、み(水)、よ(世=地球自然)、いつ(出っ=現れる)、む(虫)、なな(魚)、や(鳥)、ここ(毛々=獣)、たり(ここまでという完了を表す言葉)。                『ここ』は「毛々」の転訛、 『や』の古代言葉の意味は「鳥」である。(「日本超古代秘資料」(吾郷清彦著)‥‥162ペ-ジ『天地の歌四十八音図』より)
                                                【詳細説明は《数学幻視考》(古神道)No1、No3 参照】
                               《天》                                            
 すなわち、第一次象としてもたらされたものは光、空気、水と言う自然の創造(世=よ)体であり、そこから第二次象として出現した(出っ)ものが虫(三葉虫)、魚類、鳥類、哺乳類であると数によせて厳かに謳いあげているものである。まさに至言と言うべきものであり、隠された言霊(ことだま)の妙理、そして天地と言う言葉の真実内容さえその中にはしっかり秘めているものである。まさに世界第一級品としての隠し言葉(言霊?)でもある。そこにある言葉の真髄真価を見せつけられた者は誰しも感動し、心を打たれるものであろう。 ただ惜しむらくは「ひ=1」の前に何も無いことである、しかしである、しかるに、よく考えて見ればそこには何も無いと言うことはそこには『0=無』があると言うことと同一義でもあり、無いほうが自然でもあることも分かるのである。その手法、すなわち1の前に0(神)を置くべし、それが諸発の元であると『数』で述べ表しているもの、それが古神道の失われた言葉「カムナガラの道」の内容であり、失われた『日本神道の真髄』を語るものであったのである。それは「ひふみ‥」と「アイウエオ」の相関仕組みにより完全に隠され、それにより長い間不明とされ、失われたとされてきたものである。それが今ここに『神の数学』手法を用いることにより再び甦ってきたのである。要するにそれは「現代数学」手法では解明不能で、『古代の数理』手法だけがその真実を解き明かすことの出来るものであったのである。それはまさに古代日本民族の『知』の高さを示すものであり、我々をしてただただ唸らせ、敬慕の心を起こさせるものでもあったのである。【 「カムナガラの道」の詳細は『古神道』5の@参照】  
 
 また、『神の数学』では『0』は神、創造神をあらわすものと考え、計算で必要でない限り何も置かず、数として必要な時だけに0を置き、対極の一方とするのである。するとすべては繋がってくるではないか、例えば、今まで動かなかったもの、呼吸もなかった仕組みでも『0』、『神』をおくことにより息づきはじめ、大いなるエネルギ−の循環が始まり、生命ある如く生き生きとした姿で動き出し、回転を始めるのである.。【詳細は詳細は《幻視考》古神道(3)参照】 
 現代の学者達はそのあたりの知識が全く0であり、欠けているのである。心ある者は『神の数学』を紐解き、その姿をしっかり学ぶがよい。『神』の実際的な存在を見出す、ここが一番大切な所であり、我々のこれからの未来を決める正念場、乾坤一擲の時とも言えるものである。そこにある事実、姿有様とはまさに驚異の連続であり、畏怖すら覚えるものである。このような肝心極まりない重大事を現代西洋科学は完全に見過ごしてきているのであり、その罪は大変重いものと考えなければならない。果たしてこの先どのような決着をつけるのであろうか。この事実をしっかり押えて重用しない限り、現代科学文明には明日はないと知るべきである。言葉だけでは信じられないのはよく判る、が実際はそんなものではない、更に不思議、更に妙理が働き、言葉には尽くせぬ「神妙な数の表れ」に徹して「神の理」は展開されているのである。【詳細は『神の方陣』中級講座(8)参照】
 まさに驚動天地とも言うべき「数」の示しである。 そのあたりの仔細を語って止まないものが『神の数学』であり、そこにある「数の流れ」の姿である。驚くべきその姿とその仕組みを『数』が開示し、『神の数学』の中で語り継いでいるのである。 それはまさに驚くべき光景であり、驚嘆畏敬すべき自然真実の現れの姿である。また、それは「現代数学」にはあってはその姿の一片、いやその匂いさえ一切感じることも無いものである。
 
 驚くべし、この『ひふみ‥』の言葉こそは「聖書」の最初にある有名な言葉そのものであり、まったく同じ言葉を示しているものである。それは旧約聖書の創世記冒頭にある「神は叫んだ、『光よあれ』」と言う件(くだり)である。

 古神道にある「天地の数歌」とは≪創世の経過順序≫を『数』にことよせて謳っているものであり、聖書の「創世記」とまさに同一同儀とも言うべきものである。 また次の「ひふみ‥」とは自然開闢時にそこに現れた「天なる自然の姿」とそこにおける「地なる生物」の発生順序を伝える数詞であり、その序言葉を謳っているものである。 まさに日本こそは人類知の発祥地であり、世界文明の宗主国なのである。

 聖書の冒頭にては最初に『神(0)』があってそれが事を起こし光(ひ)を生み出し、それからすべては順を追って始まり、(空(風)あれ=ふ)、(水あれ=み)、(よ<世>、あれ)、と続き地球自然界(世)の仕組みの事は成り、次に虫、魚、鳥、動物あれと再び叫ぶことにより、そのそのすべての姿は完成し、最後に至り人が創られたのであると述べられているものである。これらの事実こそはまさに夢想もしなかった驚くべき一致言葉の出現であり、歴史さえも左右せんばかりの言葉の発露と言えるであろう。今だかって誰かこの由々しい事実を口にしたものはいたであろうか、Noであり、皆無である。また、この言葉が明かす真実とは自然万象とは『神』が生み出したものであり、『神』こそがすべての初発元、すなわち創造主であると述べているものである。 その裏を返せば「若し『神』の存在が無ければ万象は顕現不能であり、すべては始まらなかった」と言うことである。それらの言葉は『古神道』の祝詞と全く同様な意味と形式をもってその初頭に置かれ、そこからすべて同じ言葉が語られはじめ、描かれ始めているているのである。 何たることであろうか、偶然にしては余りにも出来すぎているではないのか、それら二つ、すなわち、『聖書』の最初の言葉と古神道の祝詞『ひふみ‥』はまったく同じ構図を持ち、まったく同じ意味を表すものであるとは、! しかもそれは東西共に「最も大切な言葉」、「最も真実を告げている言葉」として数千年の間、『神』に真っ先に捧げられ、奉じられていたものであったとは !。 一体この事実は何を示し、何を語ろうとしているのであろうか ?。 

 《祝詞の言葉明かし》 → 日本人は古来より言葉は「神妙な力」が宿るものと信じ、その言霊 (ことだま) をもって神さまに奏上申し上げ、聞き届けを願ったのである、それが祝詞の言葉の姿なのである。それは厳然たる真実を持つ言葉であり、決して嘘、偽りの無い事を証するための確たる前奏言葉として神前で用いられたものである。すなわち、これから奏上する祝詞は真実の言葉そのものである、そしてその次に申し上げるお願い事も祝詞同様に嘘、偽りのない真剣なものであるので、どうかお聞き届けていただきたいと言う計りである。、諸氏もここに来て初めてその意味、その正体がしっかり理解できた事と思う。それにしてもおそるべきは古代日本の知者達の力であり、それを統べていた智である。我々が解く事が出来なかったのは彼等の「知のあり方」が我々のものより数段勝っていいた、と言うことであろう。

 知に敏い人は言うであろう、旧約聖書の言葉には『神』があるが古神道には『神』が無いではないかと。しかし、驚くなかれ、それはある「神道の言葉」の中に封印され隠されていたが、今では行方不明とされている言葉を見い出せば分かるはずである。のである。その封印され隠され、そして不明となっているもの、それが「カムナガラの道」と言われる神道の奥義を表す言葉なのである。はからずも私はそれを見出し、その秘密を解いたのはすでに述べてある通りである。そこにはしっかりと「1の前には0がある、その《0》こそ『神』の現れである」と謳い、それが「本当の自然の道」であると語っているのである。その仔細とは『アイウエオ五十音図』を連れて『ひふみ‥』を起こし、そこにはめ込むことにより偉大な『カムナガラの道』とは自ずと姿を現すのである。【更なる仔細参照は 『数学幻視考』古神道篇参照】
 
 そこにある聖書の言葉とは古神道の祝詞『ひふみ‥‥』に示されている内容と全く同一義、同一内容を持つものである、それは遠い過去の何時の時代かに古神道の『ひふみ言葉』の言葉移しが外っ国に伝わり、彼の地の「秘伝文言」となった事を物語るものである。この聖書に記されている事実、すなわち『神』が最初の存在であり、すべての母体であるとする言葉内容は世界最古と言われている日本の古神道の中にもしっかりと存在しているのであるが、その事実を今までに誰一人として知る者はいなかったのである。それが古神道の『カムナガラの道』の隠されていた内容の真実であり、失なわれたとされる「神の本質真理」を表すものである。それは失われたのではなく、事情により千八百年前あたりに故意に隠されたものである。それは祝詞『ひふみ‥』と『アイウエオ』の相関的アルゴリズムの手法をもって見事に隠され、一部の者に秘伝として残されたのであるが、 しかし、その解き方さえも数千年と言う長い間ににはすっかり忘れ去られ、今では内容不明とされているものである。学者達は『神』は無いと言うが、彼等はその検出法を知らない、存在証明ができないからその存在を認めようとはしないのである。これらをして余りにも唐突、余りにも白昼夢的と言うことなかれ、世界の歴史史観では白人種こそ現代文明をつくりあげた開祖と称しているが、とんでもない、彼等はそれ以前にあった優れた文明を侵略し、占領した文明簒奪者なのである。その証拠に歴史を見るがよい、彼等は欲にまかせて人種の異なる国々を次々と侵略し、領土化して勢力を広げているではないか、歴史は繰り返されているのである。要するにそれ以前も同じことが行われていたと言うことである。例えば世界最古の文明とされるメソポタミャ文明を築いたとされる東洋系のシュメ−ル人についてである、彼等は突然歴史の舞台から姿を消したとされるがそれは他民族の侵略により一瞬にして国を奪われたとするべきであろう、最近の調査によりシュメ−ル人とはどうも縄文日本人あたりとされているようである。その言語、文字体、風貌、習慣あたりがすべて一致するからである。また地中海の最古の文明ミケネ−文明も同じである、何故なら彼らの持っていた文字がすべて古代日本文字で読み明かされ、意味もしっかり解明されている事からも判るのである。それこそまさに最古の西洋文明とはすなわち我々の祖である縄文日本民族が造り上げた文明であるとの何よりの証拠であろう。古代文明の担い手は決して白人種ではないのである、彼等は単に文明を簒奪して歴史を書き換えただけである。面白い事にこれらの事実は西洋の学者の指摘であるが、当の日本の学者達は他人事のように知らん顔、我関せずの態度である。どこかおかしいと感じるのは私だけであろうか。
 まず、我々はそれらの事実をしっかり見極めて改めて歴史を検証すべきである。すべては西洋が主流であり、西洋から始まって東洋に至っていると言うのは西洋歴史家の独断と偏見の弁であり、押し付けの論理である。我々おとなしい日本人はそれにのせられ、そう信じて踊らされているだけであり、まさに詭弁の歴史であり、真実に反した虚偽の歴史と呼ぶべきものである。今後彼等はまたしても言うであろう、「日本人は古い時代にあっても「聖書」から言葉までも盗んでいた」と、何をか言わんやである。それが彼らの長年用いてきた常套手段であり、我々と異なる国民的体質(利己的正義主義)を持っている事を物語るものである。果たして、どちらがハッキリした由緒文言をもつものであるかか、また、どちらが正しい整然たる脈絡、意味を備えているかは上述した事柄から判断出来るものである。またどちらが「親言葉」、「最初の言葉」であるかはその言葉の内容と成立年代(爾来三千年)、そして民族の成立過程やその言葉の推移などを考えれば自然に正しい答は出て来るのである。これらのを称して古代の「言霊の業」、「言霊の知」というべきであろうか、それとも単なる「隠し言葉の業」とよぶべきものであろうか。とにかく、『隠し言葉の隠しアヤ』(言葉の中に隠されている真実と、それを解くアルゴリズム的手法)として、大変な歴史的な意味を提示してくれていることは確かであり、古代の祖の「知のほとばしり」の証(あかし)と言うべきものであろう。  【詳細は《数学幻視考》古神道(3)参照】
                 
 
 それはこの「『ひふみ‥‥』の数歌」だけではなく、他にも『神の数学』の中には数多くの数の「恐るべき知的振る舞い」の存在があるのであり、それらが日本の誇るべき「叡智」の確定的な存在を示し、証拠だてているものである。それはまた同時に、日本における「八百万の神々」の確たる存在を示す証を示し、同時に「八百万の神々」の言葉の元(もと)となっているのである。疑う方があれば資料を手にして自らの手でそれらを確認し、検証して欲しい。そこには誰も知らなかった日本の神々の姿とその息吹が「数字」をもってしっかり表されているのに仰天するであろう。私はここで声を大にして心から叫びたい、「日本人よ、いい加減に目を覚ませ」と。これらはまさに「数」が開示した奇跡であり、有り得ない事実の一つである。 まさに、「事実は空想よりも奇なり」を地で行くばかりの顕れと言えるものである。 ここで一つだけヒントを出しておきたい、それは図において『神』を求めるには視線を90度変えた位相上で改めて見直し、探索しなければ見出すことは出来ない、それが宇宙普遍の真実法則であるが人類はまだその手法を知らないのであり、これから学ばなければならないものであろう。  
              【詳細は『神の方陣』中級講座(8)参照、そこには信じられない『神』の見出し方が整然とした形で記されている、それを貴方は如何解釈するか?】


 これをして偶然の至りと言うことなかれ、なぜなら、偶然にこの言葉が並ぶ確率は10の!(階乗)、すなわち362万分の1である、やはり意図して作られた言葉の並びであり、人間の手になるものと考えるべきであろう。そこに示されたものはまさしく生物の進化過程であり、生物の発生歴史過程を語るものである。 その事実の示す意味は『祝詞』とは古代人の残した大切な「知のメッセ−ジ」であり、「遥かなる伝言」と考えてしかるべきであろう。これはまた、我々日本民族の祖は現代人以上の知的頭脳と言葉の暗号化の業(アルゴリズム)を持っていた証となるものである。それはこの『ひふみ‥‥』に止まらず、『アイウエオ五十音図』、『だるまさん‥‥』、『いろは‥‥』にしてもしかりであり、すべて言霊的アルゴリズム(?)を持ち、大真理を世の中に伝えている『知のメッセ−ジ』なのである。 それらはすべて日本語と言う高度な言語とその中の構図仕組みをもって密かに隠された「古代の叡智を伝える伝言」と言うべきものである。 ただ日本の学者達は余りにも古代人を未開人、知的未熟者として過小評価するあまり、「そんなものは無い」、「そんなものを持っているはずが無い」とばかり初めから否定的な態度を見せ、はなからその存在を考えようとはしなかったのである。また神道研究者達の書いた「神道書」には祝詞『ひふみ‥』の姿を誤った数の形、すなわち1〜10までの数字で描き、いたずらに意味を持たぬ愚言となっているだけであり、ゆえに誰からも評価されず無為の所業となっているものである。 正しくは1〜9までの数を用いて描く「数の理の道」、それが『神』に直結する自然本来の数の並びである。それを謳っているのが古神道の祝詞『ひふみ‥』であり、それを用いてのみ解かれる『アイウエオ五十音図』の示す驚くべき『神の啓示物語』である。すべては古神道から現れた現代知を遥かに超えた「未来の超理」の姿であり、「神の心」を示すものである。しかし、西洋科学の呪縛にかかり、その最大の追従者となってしまった今の日本人には中々信じられないものであろう。
 ところで諸氏の歴史的な認識知は少々遅れてはいないであろうか、一つ確めて欲しい。今や日本歴史の歩みは2,30年前とは打って変わり活発な変化を遂げ、歴史ストリ−は活発な展開を見せ、ややもすれば日本歴史は大きなリボリユ−シヨンを迎えようとしているのである。 30〜40年前までは「縄文時代」のスパンは四〜五千年と考えられていたが、今ではそれが一万五千年以上と言う広がりに変わり、学者達を困惑させているのである。
それとは別に「日本の古代遺跡」のあるものは世界で最も古い78万年前のものと断定され、最古とされる「ジャワ原人」や「北京原人」よりもまだ古い原人の遺跡と言われ、世界中を唖然とさせているのであるがご存知であろうか。(高森遺跡、上高森遺跡)。 また、日本の古代土器は世界で最も古いもの(一万六千年前のもの)とされ中国や中東で発見されたものよりも群を抜いて古い事もご存知あるまい。まさに日本の歴史は大きな変革期、歴史維新を経ようとしているのである。どうもその立役者は専門家では無く、一般の市井の学者であると言うのも、また面白い見ものである。まさに明治維新ならぬ歴史維新の始まりである。
 今までの学者達の持っていた日本歴史観は西洋人の歴史基準の下で培われたものであり、世界最古の土器が発見されても、「エジプト文明」と比肩する長期にわたる世界最古の「縄文文明」が見出されても日本の歴史学者達は批判と否定に走るだけであり、西洋人の作り上げた歴史のみの妄信を繰り返すだけである。考えて見るがいい、当時の古代人と今の我々は本質的には同じ民族のはずである、我々は明治以来僅か百年余りで世界に冠たる国を築き上げ、いままさに世界をリ−ドしょうと頑張っているのである。それと同じ民族である我々の祖が一万年以上かけて何らの知的開花、意識文明知を持たなかったと言うのはまことに解せない話であり、有り得ないことではなかろうか。しかし彼らにはこの当たり前の話でも通じないのである、すべては彼等学者達の封建世界を守るためである。例えば「神代文字」が実存したことを証明するだけで彼らの作り上げてきた歴史世界は一瞬にして崩れ去るのである。いわんや古代人が『神の数学』を知って知を磨いていた等の言はまさにい許しがたいことであり、いくら真実を説いても到底承認できないものであろう。 歴史は日進月歩解き明かされ真実が次々と明るみに出てきているのである。、彼等がいくら否と言おうが喚こうが真実は真実であり、如何ともし難いものである。現に歴史以前に記され誰も読めぬ世界各地の古代字を日本人が神代文字で読み解いているではないか。また世界中の石に刻まれた古代文字を読み解き、古代の世界は日本語で結ばれたワン・ワ−ルドであり、日本が世界文化の中心地であったと主張している世界的な日本人学者もいるではないか。これらはまさに日本及び外国の古代文献に記されている「古代日本の真実を伝えている文言」そのままではないのか。
 これらの事実を鑑みると、まさに今の日本の歴史の行方はは世界が注目する台風の目である。これからが益々面白くなっていくであろう。
 また、意識遺産とも言うべき形を持たない歴史遺物には諸氏もご存知の古代の物象物理を記した「カタカムナ」古文献があり、また一方には古神道から現れた物象物理数学「神の数学」も姿を見せているではないか、共に「現代科学」を遥かに超えた驚くべき『超科学の世界』をかいま見せ、我々に希望と励ましを与え勇気づけてくれるものである。どちらも世界に類の無い日本の誇るべき「古代の叡智遺物」のはずである、 しかるに、それを一生懸命否定し、頑強に無視しているのが日本のインテリと言われる人々であり、学者と言われる人達である。 何ともの悲しく、そして道理に合わぬ、そしてそれがまかり通っているおかしな国、それが我々の国この日本である。面白い国と手を叩くべきであろうか、それとも真摯にそれを憂い、ならじとばかり真面目に立ち上がるべきなのであろうか。
 
 古代祝詞の双璧の一つである『アイウエオ五十音図』の見せる思いもよらない驚嘆すべき内容、今でも私はただただ畏敬の念で眺めるだけである。そこにある古代の祖達の持っていた驚くべき言葉の「韻結びの秘密」、それらは世界の暗号史にも残る素晴らしい姿を持つものである、なぜなら、我々の常識を越える知的アルゴリズムを持ち、まさに唖然とするような驚くべき働きを持つものだからである。 さて、思うままに知の才が溢れると自負する方々よ、ならば、見事に『アイウエオ』に含まれる祖達の悲痛な叫びの声を解いて見るがいい。そこには『アイウエオ』で綴る「顕幽の世界」(あの世とこの世)の姿内容がしっかりと描かれ、その明白な意味さえ記されているのである。 それは一般に知られている「いろは」歌の持つ暗号言葉「とがなくてしす」などの個人の叫びではなく、もっと奥深い日本民族の「悲痛な魂の叫び」であり、真実を伝えようとしている意味ある叫びでもある。それはまた神代文字を消し去り、漢字導入が強制的に行なわれた際に密かに仕組まれた「隠された古代言霊」であり、支配者達(大陸からの侵攻者)の目を欺いて作り上げた「隠し言葉」そのもの姿である。更にそこにはもう一つの真実、すなわち『ひふみ‥‥数歌』により導かれる『あいうえお』五十音図の秘密の存在である、なんとそこには驚くべき方法で宇宙次元の実相(3次元)が描かれているという事実があるのである。それはまさに驚くべき「神の仕組み」の表れであり、『ひふみ‥』の心、その真髄を知らなければ到底解けるものではない。まことに畏敬すべき「隠された事実」であり、まさに世紀のスク−プとも言えるものである。またそれは古代の数の理である『ひふみ』を打ち込んで初めて開錠されるものであり、『ひふみ‥』と『アイウエオ』の二つの祝詞を相携えて解かなければその姿は決して現れないものである。 それを経てはじめて「正しい答」、「数が示す驚くべき答」が見い出され、我々を唸らせるのである。 それこそまさに「不思議な事象」と「神妙な数の理」であり、少なくとも『神』の智恵の関与無くしては不可能と思われるものである。 まさに不思議の世界であり、不可知の世界である、    【詳細は『古神道』D参照】
 それはまた先に解いた『カムナガラの道』とはまったく異なるもので不可思議な「神の答」とも言うべき「数による大いなるメッセ-ジ」である。私としても現実問題として、どのように扱うべきか少々途方に暮れている現在である。『ひふみ‥』手法に乗せれば確かに簡単に結果は出てくる、しかしその答を手にすると現実的には苦慮、苦悩するものである。何故なら、今の科学的見地をもってではそれを十分に解し、検証することは叶わず、果たして真偽の判定が可能であるかどうか悩む『答』を示しているからである。要するにそれは、現代科学の及びもつかぬ貴重な「叡智」を持つ『未来の図語』であり、鋭い知のほとばしりを持つ古代人の「熱いメッセ−ジ」と言えるものなのである。 して、その仔細等はここでは紙数の限りあるので述べるのは無理であり、私としては大変心苦しい。関心のある方、もっと真実を追究してみたい方は別途、表記〔『神の数学』・佐藤〕に問い合わせて該当資料を請求し、十分に閲覧の上で御検証戴きたい。 

 さて、次には『ひふみ‥‥』の天地の数歌があらわす「天地創造の仕組み」、すなわち自然は「陰と陽の二元」により創られている真実を覗いてみよう。それは『神の数学』による宇宙の本質哲学的なものを正しく解析し、正しい視線を加えることにより簡単に見出され、そこにある意味はすべて明らかになるはずである。まず、その前に『ひ=1』の前にあるべき数 ≪0≫ を置き、正しい数の並びをつくらなければならない。それを解き明かし、証明しているものが失われた神道の真髄『カムナガラの道』であり、そこにある驚異のアルゴリズム(解き方手法)なのである。  【そのあたりの詳細は《数学幻視考》(古神道)bT参照して欲しい,、そこにあるのは驚くべき叡智の発現である】
 その仔細のくだりは『ひふみ‥天地の歌』、すなわち 0123456789なる正自然数数列が持っているのであり、その事実を次の「数仕組み」により明確な形をもって記しておくことにする。 それはすなわち、すべての宇宙具象の初めには必ず《0》(神)を置き、そこから解き始めなければ本性は見えない事実を我々は知らなければならないのである。《0》こそすべての数の母体、すなわち1〜9までの数の生みの親であり、同時に最終到着点として還る(収斂する)べき原郷なのである。ところが今の西洋科学文明全般には「その表れ」、「象徴」、すなわち0(神)がまったく無く、その基本たる概念が最初から完全に欠けてしまっているものである。だから現代の西洋科学文明は「神無し」の欠陥文明であり、ゆえに『神』を第一義に置くことにより開ける「自然の理」はまったく解けないのであると私は常々申し上げているのである。 また、0123456789の「ひふみ‥言葉」は次のように第一次象(天)と第2次象(地)に分けなければならないものでる、何故なら、それは「天(陰)」と「地(陽)」の合一した「完全自然象」であり、『神の心』を表す『自然数の妙絵図』と言うべきものだからである。【『神』の正体、『神』の仕組み働きなどはすでに「数」にて表されている、参照、『神の方陣』中級講座(8),、『神の方陣』上級講座(3)】

≪数のぼやき≫記述〔4〕
古神道の祝詞『ひふみ‥天地の歌』に秘められた≪自然が謳うその秘密≫とは!
 ……(その秘密のすべては「数」が語ってくれるのであり、その一切を「数」が教えてくれるのである)……。

 次に示す「数のあや」は今まで誰一人として知らなかった尊い『祝詞(「言寿ぎ」コトホギ)=永遠にかわらぬ真理言葉』であり、『言霊(数)の語る秘密』と呼ぶべきものである、私が史上初めてその真実をさぐり、その核心を『数』から教えて貰った者であることをここに宣言する。この事実は史上初めての「数の言霊」による祝詞『ひふみ‥天地の歌』の持つ真実内容の開示の姿でもある。またそれは日本古来からの伝来としての由緒正しいものであり、数千年間神道の中に封じられ、今ここに初めて姿を現したまことの「自然の理」でもある。すべては『数』の表す自然の本質であり、自然数とは相対的な自律性を持ち、宇宙の仕組み(陰陽の二元性)を表す尊い心さえもっていることを示すものである。また『神」は自然万象を現し秩序づける為の因子として『数』を用い、かつそれを言葉として用いてすべての『神の知』をひろしめている事を私たちは是非知らなければならない。それがすなわち『神の数学」と呼ばれる由縁であり、古神道から現れた『日本古代の叡智』の姿である。それはまことに簡単な真理を謳い込めている簡潔な姿であり、簡単な言葉ではある、しかし現代科学体系には「その理」の類は全く見当たらず、その少しの影さえも見られないのはまったく残念なことである。
(是非、ひふみ‥数列を紙に写し取り次の説明どおりに数を置き、数のあるべき姿、真実の姿を何回も、何回もなぞって見て欲しい。そこぬは世界が驚くばかりの数の聖なる「秘密の証言」が現れるであろう。)

     天               地   (天+地=0)を表す、≪現代言葉に言い換えればでは 陰(マイナス)+陽(プラス)=0≫
0,1、2、3、4 と 5,6,7,8,9 の合一は0である。  祝詞 『ひふみ‥‥( 天 と 地 の数歌)』より。 

 これにより、自然とはすべては「0の世界」、「無、空の世界」、「太極の世界」であるとを謳っているのである。これが古神道に隠されていた秘儀であり、現代人を遥かに超えていた古代人の持っていた「叡智」の揺ぎ無い真実の姿である。 それは今の理論物理学で証明された『宇宙の本質は0である』そのものを示すものである。  ここにも「現代物理」と古代の『数の理』はまったく同じ答を持っている事実が顔をだしているのである、信じられるかな。
 
 すなわち、前半の一次象は01234で「陰の性」を示し、後半の二次象 56789は「陽の性」をあらわす「陰陽の自然生成象」を開示しているのである。. また「陰の性」とは一つの波動態であり「陽の性」とはそれとは全く正反対の波動であり、「陰の性」を完全に打ち消す波動態である。よって「陽」と「陰」は合一すると0、無になると言うことである。現代科学でも最近になりやっとその理が認められ、現実的に使われてきているのはご存知であろう。
(誤解があるようであるが「数」は人間のつくったものではなく、自然の神(宇宙意識)が宇宙創成の時から用いていた神の道具である。人間の作ったのは単に数を表す数字であり、一つの認識記号、パ−タン文字というものである)。 ここで、数列の中心から分断して2つの数列、陰(天)と陽(地)の数列に分け、その上で計算を行うのである。また「陰の数列」と「陽の数列」における対極数(中心から同一位置にある数)を見出すと、それはすなわち、4と5、3と6、2と7、1と8、0と9、であり、.それらの陰陽の対数(つい数)のそれぞれを加算合計するとすべてに9が現れる事に気がつくであろう。また9の数の表すものはとは、すなわちその自然象の持つ本質が≪0≫であることを示し、なおかつそれは『神』につながり、かつ『神』と共鳴してその心を共有すると言う宇宙の偉大なる「基本態」の姿を示すものである。 何たること、「『ひふみ‥』天地の歌」が示す(4と5)、(3と6)、(2と7)、(1と8)、(0と9)の対数(伴侶数)の正体とは宇宙の意識(神)の奏でる大いなる天の計り事に用いられる『天数』そのものであったのである。何と言う不可知極まりない天意の表れであろうか、これが大祝詞『ひふみ‥』の真実の姿であり本来の姿なのである。それはまた不思議にも先述した米国からの報告書、すなわち「墜落した空飛ぶ円盤」の中で発見された彼らの数手法(システム オブ ナインズ)と全く同一のものなのである。驚くべし、三千年前の『ひふみ‥数手法』と現代に姿を現わした宇宙人の数手法が全く同じとは。貴方は信じられるかな?。果たしてこれは何を意味するものであろうか、私には今でも信じられず、ただただため息をつくだけである。今まで誰がこの「数の真実」を明らかにしただろうか、到底現代知では不可能なものである。しかし、この事実は今は理解されないかも知れないが、何時かは未来の人類の為の試金石、また栄えある日本民族の所持していた輝かしい知の布石として改めて必要とされ、評価される時がくるであろう。 そのためにここに留め記し、後は未来に託そうとするものである。 何時の時代にか必ず偉大なる『知の金字塔』として人々に評価され、歴史に刻まれることになるであろう。すべては日本に残され、日本民族にその秘密を託そうと計られているものである、我々日本人が解かずして誰が解き得るであろうか。 さあ、知に自信のある者よ、自らの手でこの事実を確め、古神道に残された古代の数の本来の姿、自然数の仕組みの素晴らしさに感動の涙を流すがよい、その上で改めて更なる深部を探り『神の秘密』を見出し、自分の心の糧とすべきであろう。貴方が「現代知」に失望し、あるべき『未来の知』に望みを賭けようとするならばである。 【このあたりの詳細は『神の数学』講座(9=0)参照】

、また、各「陰」と「陽」の対極数そのものを単体同士、複体同士で加算しても、すべては9になり、0(無)に還元帰一され、同一結果になることを証明してみよう。例えば上で述べた天数(陰の数列01234)を加算すると10、地数(陽の数列56789)を加算すると35 となり、それらをそれぞれ一桁化するとすなわち1と8を得る事になる。そしてそれを加算すると、すなわち「陰の数列」+「陽の数列」=1+8=9(無、空)が現れ、太極状態(宇宙の本質)に還ることが示されるのである。 では正自然数列(陰と陽の合一した自然象)である 0123456789 を合計加算すればどうであろうか、それは確かに45になり、一桁化すると9(0)が現れる、それにより祝詞『ひふみ‥』とは「完全な自然象」を物語るものであり、理路整然とした流れで「自然の理」を謳っているものであることがお分かになるであろう。すべての「陰性」と「陽性」の対数を加算したものは等しく9になり、<0(無)に還る=何もない> になる事実はまさに真実実相の表れであり、自然のあるべき実相本質の姿を示すものである。 要するに古神道の祝詞の言葉、≪天地≫とはすなわち、自然界の持つ<陰と陽の二元>の相対的存在があり、すべてはそれにより開象されているとの『古代日本の叡智』であり、自然とは相対的な二元から成り立っていることを表す世界初発の言葉であったのである。そこにある真実の如何、顕れの如何とその真実については上記の数の表れを見れば万人誰でも納得するはずであろう。 しかし、残念ながら今までにこの「数の表す本理、本筋」を解した者は誰もいなく、二十世紀末に私が呼び覚ますまで「ひふみ‥天地の数歌』は三千年という長い間、古神道の祝詞と言う名の最高位の褥(しとね)の中で眠り続けてきたのである。        【このあたりの詳細は『真実の数理』講座(7)参照】
 
 その後『アイウエオ五十音』を連れて『ヒフミ‥』を起こし、その両者の力を借りることにより『カムナガラの道』が姿を現すと言う、まさに不思議極まりない経緯がそこにはあったのである。 またその二つ、すなわち『ひふみ‥‥』と『アイウエオ五十音図』は「古神道」の双対祝詞として「鍵」と「錠」の関係であり、一つのアルゴリズム的な仕組みを持って対峙していたものである。 その驚くべき手法をもって古い時代のある時に闇に封印され、隠されたものが『カムナガラの道』と呼ばれる「神道の神髄」である。それは今まで人類が求め尋ねあぐねていた「神の姿」の真実をかいま見せる古代言葉であり、同時に自然界における神の役割を示す言葉でもあったのである。 それは『ひふみ』と『アイウエオ』の相関仕組みによる正しい解法を知らない限りは決して解けず、その片鱗さえも見せることの無かったものである。神道関係者は言う『カムナガラの道』の真実内容はとうの昔に失われ、その内容が不明になって幾久しいと、その理由とは「解法の知」そのものが長い歴史の中のある時期に知者達により隠され、それっきり埋没し、そして忘れられてしまったことである。 そのあるべき内容を見出し、手にした時にはさすがの私も信じられなかった、なぜならそれは余りにも「大きな知」であり、現代科学哲学の向こうにある隠された『叡智の姿』であったからである。 自分の手で見出そうとする方々には一つだけヒントを進呈しておくので、是非その意を解くがいい。それは『アイウエオ五十音図』を連れて『ひふみ‥』を起こし、そこにはめ込むことにより偉大な『カムナガラの道』とは自ずと姿を現ものであり、その逆、すなわち『ヒフミ‥』を連れて『アイウエオ五十音図』にはめ込めば、何たること、そこには愕然とするばかりの『アイウエオ』に秘められた驚くべき『神の業(秘密)』が現れるのである。しかもそれは現代人には信じられない形、不可思議な姿を持って現れるのである。それこそ到底人間業とは思われない「超知の数仕組み」を持つものであり、「神の関与の知」としか言えないものである。それは同時に古代の祖達の生々しい「知の響き」と、その「神業とも言うべき知の本質」がひしひしと感じられるものである。 是非とも、そのあたりを十分調査検証すると同時に貴方の類まれな「心の琴線」でその真実を汲み取り、熱い思いに浸って戴きたいと思うのである。若し、貴方の直観が何事かを感じるならばである。
 
 貴方が大衆の前で『古神道』を説く者であり、実践している者ならば、せめてこのぐらいの『古神道』の真髄秘事を弁え、心に余裕を持って人々に接すべきであろう。今の神道関係者達には余りにもそのあたりを知らずに、ただただ先人達が残した道にのみ固執し、ただ空事を述べているだけで事を済まそうとしている。それが神道を益々斜陽化させ、その衰亡に拍車をかけている一因になっているのを知らないのであろうか。一言で言えば長年にわたる勉強不足の結果が今のような事態を招き、人々の心を神道から離れさせてしまったのである。そもそも『日本神道』とは世界に冠たる「科学の法」であり、「哲学の法」であり、「宗教(神の教え)の法」であり、『大いなる自然の道を語るもの』である。学ぶ事はまだまだ山ほどもあるはずである、それを忘れ、ただ事終われりとばかり門を閉ざして蟄居を決め、社会に奉仕することを拒んでいる姿はまことに片腹痛し、笑止千万、不届き千万と言うものである。それこそは己の身を己の手で責める所作であり、永らえる事を諦めた姿、あまりにも無残な希望を失った姿と言えるものではないであろうか。是非再起のほぞを固め、大いなる決意を持ってていただきたい。
今はその大切な一番、乾坤一擲の時であり、その場でもある、今を失えば、神道には最早未来は無いであろう。是非奮い立ち「大いなる神道」の復活に一団となって心を合わせるべきであろう。古い視座はかなぐり捨てて、自らの手で現在に叶う新しい「神道の道」を模索探究し、再び大衆と共に、いや世界と共に歩むべきであろう。【その解法手順、答の検証などのすべては《数学幻視考》(古神道)No1〜No5に詳しく記してある。是非御参照願いたい】。 

 
 願わくば、前述、『神の方陣』(10)で示されたように「自然の数学」では8の次は9ではなく0を示していることを是非とも確認し、検証して欲しい。それはすなわち数の本質においては《9=0》が成り立つことを表す証の一つである。要するにすべての「相対する極における「陰と陽のあらわれ」の合一は9(最大)であり、同時にそれは0(無=最小)を示す」ことであり、要するにすべては0(無)に還り、エネルギ-関係や発生したエントロピ−状態もすっかり新しくなり復元状態にあることを意味するものである、それが正しい自然の答であり、宇宙の大律の基なのである。 またそれは最近の宇宙物理学者達の「宇宙の本質関係は0である」、「宇宙の定数は0である」との理論計算とも合致し、同一の答を見せるものである。するとこの《ひふみ・・・天地の歌》は「宇宙の仕組みの本質」を表しているものであり、その意味から言えばこれは最小の形の『宇宙の縮小モデル』を表すもの考えるべきものであろう。すると祝詞にある「天地」とは宇宙自然を指すものであり、「ひふみ・・・」とはそれを貫く「法則」、「律」と考えるべきであろう。(自然の理である「元素周期律表」を見るがいい、そこには一つの軌道には8ケ以上の電子は入らないのである。すべては8をもって完了を示し、次は0に移り、また1から新しい軌道がはじまるのである、『それは見逃すことの出来ない一つの宇宙規範でもある』)。人間の計算だけが8の次は9であり、つぎは10を示し、1ケづつ無限へと進んでいるのである。古神道の「数の理」を見るがよい、8の次は9であるが9は0と同じものとしているではないか。 自然の「数の理」を採らず、自然にそぐわない計算法である「十進法」を用いている限り、人類の更なる発展は無いものと諦めなければならない。まことに人類の前途は多難であり、今のところその未来を伺い知ることはできないものである。  【更なる〔天地の数〕の詳細は《数学幻視考》(古神道)bS、及び『真実の数理』講座を参照のこと】

 (0=9)の発想はおかしい、あり得ないと考えるならば、それは貴方がおかしいのである。私は宇宙具象は射影空間(ホログラフ)的に考えるべきと冒頭に述べてある、そこでは最初と最後は同じであると述べ、ホログラフ的(循環的)に見なければならないと記してあるはずである。 では貴方に尋ねたい、日常的に用いている時計の針は12時であると答えても、0時であると答えても差し支えないではないか、貴方方は12時から12時までをして半日と称しているが、正しくは0から12時とすべきものである。すなわち(0=12)と考えるのである、 それが循環的手法の意味であり、知らず知らずに使っている日常の茶飯事の一つでもある。今まで誰も疑わず、誰も疑問すら持つこともない矛盾した言葉では無いのか。 また、全方向循環とは立体を指すものであり、ホログラム的な象を意味するものである。(これは初心者向きの蛇足と思って欲しい) すべて宇宙的具象は平面的では無く、立体的、ホログラフ的に考えなければ答は出て来ないものである。例えばである、日本人お馴染みの宇宙の大法である『九九算表(上述)』、それを立体化し、数字合わせを行ってみると、そこには確かに宇宙の形をしている超円筒形が現れて貴方を魅了するはずである。 また同時に、それはまさに現代の宇宙物理学者達が描いている宇宙の姿、ド−ナツの形をした次元体の形であり、同一の姿であることに貴方は驚愕し、知らず知らず感嘆の声を上げるであろう。  【詳細は『超物理の世界』〔10〕参照】

 さて、さて、少しは理解がいったであろうか、ここにおける『神の数学』はまだまだ入り口を覗いているだけであり、中を密かに伺い見ているに過ぎないものである。現代人の知らない「数の理」はまだまだ奥が深いものであり、生半可な好奇心だけでは到底立ち入ることは出来ないものである。それは「宇宙の真実」に立ち入ることにより、そこにある「神の領域」を覗き、その正体を見て、その業にまでタッチするものであるからである。そこまでいってはじめて『神』、『神の存在』を確かな目で確認できるのである。そこで初めて『神の存在』こそがこの世の森羅万象の具現化に必要であり、必要不可欠であることが判るのであり、自然の確かな真実に涙するのである。 『神の数学』は自然の軌範を踏んだ本当の「自然数学」であり、『数』が導く自然の「大哲理」を表すものであることを是非とも知って欲しい。 そして、それが今の人類には最も必要なものであることをしっかり知り真摯に取り組んで欲しい、それが人類に新しい未来を授け、新たな文明を構築するためには必要不可欠なものである。
 今まで誰か古神道の祝詞『ひふみ‥』からこのような上古代の言葉に秘められた「大叡智」、そして『数』の持つ真実を完全に究めた者はいたであろうか、No、皆無である。日本民族のすべてが西洋科学学問には盲目的に従うだけで、『数』を人知の下に属する単なる奴隷道具としか見ず、『数の特異性』や『数の本質の存在』等はまったく知らなかった、すなわち、そこには元型に類比できるような相対的な自律性を持ち、意識に先行して存在していたことを見抜いた者は誰もいなかったのである。 要するに古代の祖達の残した「遥かなるメッセ−ジ」に気がつかず、ただただ外つ国のきらびやかに見える異文化に憧れを抱き続けていたのである。何と言うことであろうか。何と言う愚暗な行為の繰り返しであったのであろうか。ここにある『超知』のすべては「古神道」が発信元であり、貴重なる日本の超知財産とも言うべきものである、日本民族である貴方がた、特に縄文古人の血(霊、DNA)が流れている方々には特に強く申し上げたい(それは特にこの『神の数学』が心に共鳴的な作用を及ぼし、心に強く響く方々を指す)。  是非、これを元に更なる展開を進めることにより真実を見出し、我々人類に寄与することを切に希望するものである。個人的に使用し、真実を求め、世に出すのは大いに結構で望ましいことである、是非ここにある「数の理」を大いに利用し、新しい発見があれば貴方個人の名前で登録し保持していただきたい。しかしこれらを団体あたりが私物化し、権益をむさぼる為に他人を圧迫する行為等は許されないものである。なぜなら、この発見者、そしてその展開者である私がこの内容とこの事実を10年前(平成8年)にすでに書に記し、出版社から出しているので、これらの著作権等はすべて私が有しているからである。

 私のこのHP(ホ−ムペ−ジ)における記述については、すべて「数」が開示している真実に立脚するものであり、虚偽、妄想、または幻想等によるものは一切無く、すべては数に裏打ちされた現実的な証(あかし)を持っていることを申し上げておきたい。それを語るものが今まで述べてきた「自然数が語る諸問答の姿」であり、「数が明かす宇宙自然の妙」である。それらを束ね、確たる証拠となるものがそれぞれの証言としての100編近くの『数が語る実証レポ−ト』の存在である。 ここに述べてあることは、まだ序の口の数物語であり、本題にはまだまだ驚くべき「未知の大真実」、人類の頭では到底発想不能な「神の真実」、そして理解し難い不可思議な「数の理」がまだまだ数多く見出される事を伝えておきたい。それらのすべては前述したアカシック・レコ−ド?あたりと接触し、感応受けない限り決して取り出せないものである。 しかし、そんなに難しいものかと問われれば、別にそうでもなくよく考えて見れば甚だ簡単なものであり、当たり前のことなのである。但し、現代知識に裏打ちされた諸氏側から見れば、そんな馬鹿な、あり得ない、聞く耳も持たないと血相さえ変え、抗弁したくなるようなものであろう。 要するに見方次第、知の培われ次第で同じものも異なった形、奇妙なものに映りるのであり、それに対して反駁し、排斥を試みたくなるのはこれ当然の成り行きであり、人の常と言うものであろう。反駁、反証大いに結構、私としては大歓迎である。
 例を出して見よう、日本には勿体無いもの、出来すぎたものとされる古代の「知の業」が三つあることはご存知であろうか、しかもそれらは日本人にはとうの昔に見捨てられ、今では誰も関心さえ抱く者とてないと言う姿を持っているものである。 それが今まで述べてきた古代からの伝承言霊(数も含む)、すなわち@《『ひふみ‥』の天地の数歌》、A《アイウエオ五十音図》、そしてB《九九算表》の三点である。私が冗談にこれらが超古代日本の「三種の神誼(器)」であると申し上げているものである。(『誼』とは古代の言葉で「正しい筋道」、「自然の道理」を表す言葉である‥‥広辞苑)。 今までの三種の神器の鏡、剣、玉ではどうあっても世は開けないのである。これについてまた誰も知らない『神の秘密』を披露申し上げることにする、これは大変重要なことがらであり、貴方方が間違いなく「そんな馬鹿な」と異口同音に叫ぶも事は疑いのないことであろう。 ただ心配なのは私の稚拙な言葉での表現をもって記してあるので、果たして十分に納得のいくような説明になり、伝えられるのか、それが大変気がかりである。 今後も追々加筆、追筆を加えながら、意味内容をもっとハッキリした全容にしていくつもりである。まづ、上記にある@、A、Bの概要を一応簡単に説明しておくので、、諸氏の意見も是非戴いて、更に内容を煮詰めていきたい所存である。

@ 『ひふみ‥』の言葉は平面上における一次元的な象であり、直線から円(循環体)に移行する基本手順(1次元から2次元象?少々不明でもある)を示しているものである。それが両端にある0である。またその移行により新しい「数世界」の秘儀が見出され、真実の数計算式がもたらされるのである。【その詳細は『古神道』(4)参照】

A 『アイウエオ』五十音図においては『ひふみ‥』で開示されたものと同じ手法、すなわち両端にある同一語を重ねることにより縦と横の平面2次象から一段上の立体象(3次象=筒型)に転化変身を遂げるものである。しかし、そこにおける「数の手法」、それは『神の手』でなければ表記不能と思われる「大いなる仕組み」である、何故『アイウエオ』五十音図に神が関与し、手を差し伸べたのか、それともすべては偶然の産物なのであろうか、それにしては余りにも秩序立った偶然が重なる過ぎる、一体これは何であろうか。 誰か「知の溢れている方」、「神の知にタッチしたい方」、「神と頭脳比べをしたい方」、是非挑戦し、解き明かして欲しい。それはまさに不可思議の一言に尽きるものであり、ただただ驚嘆と畏敬に終わるものである。それは我々の母国語である日本語の生い立ち、すなわち日本語はよその国に起源があるのでは無く、この日本に原派生したゆかしき、そして尊い言葉であり、『神』の関与の下で創られたものであるとの証明が確たる方法でできるのである。 【その詳細は『古神道』(5)のA参照】

B 九九算表(宇宙次元原理表)においても@、Aと同じ『ひふみ‥』の手法を用いることにより横、縦の平面2次象から二つの操作により、超立体象(4次象)が現れるのである。それが上述の『宇宙次元原理表』にある宇宙の形、すなわちド−ナツ状の形である。それはまた、現代物理理論の先端をいく「ト−ラス」の形(ド−ナツ形)と同一のものである。まさに不思議、不可解の極みに尽きるもので、これ以上の解釈は今の私にはどうあっても無理である。(数にて論証済み、図解検証すべて可、)   【その詳細は『超物理の世界』〔10〕参照】

C 『アイウエオ』の初期漢字文字が綴る「顕幽の世界」、すなわち「あの世」と「この世」の姿内容の真実。ただこれを知るだけでも超古代の意識文明の確たる存在が窺われるものである。(初期漢字文字「アイウエオ」により容易に検証可、後期漢字文字である「アイウエオ」ではそれが消されて意味の無いものとなっている、何故なのか?)   【『古神道』(5)のA参照】  日本の学者諸氏よ、あなた方は日本には漢字渡来以前には文字は無かった、神代文字などは後世の戯れの文字、偽作文字であったとするあってはならぬ「安易な道」を選び、真実からの逃避を計り、虚妄の歴史をつくり上げているのであるがが、それはただ外国の歴史家たちの日本軽視の風潮を駆り立て、国の威信を傷つけているだけである。次々と真実が現れ始めた今、今度はどのような逃げ口実を見つけ、どのように我々を丸め込もうとするつもりであろうか、貴方方学者のそのような態度が日本の歴史の窒息状態を作り出し、真実の歴史を見えなくしているのである。また己の住む世界を自ら小さくし、活路の場を閉じ、自らの仕事を絶とうとしているのでもある。そろそろ新しい真実歴史を見出し日本のために気を吐くべきではないのか、材料はいくらでもあるではないか、例えば中国前漢時代に作られたとされる多くの古代鏡に何故無いはずの神代文字が彫られているのか、時代は漢字が日本に渡来するおよそ500〜600年前である、おかしいではないか?。また、世界にまたがって散逸している誰も読めない古代文字が日本の神代文字で読み解けるのは何故か?。しかもその先鞭者は外国の言語学者であり、日本人ではないのである。まさに無能と言う恥を世界に振りまいているとしか言いようにないものである。(ケンブリッジ大学教授のジョン・チャドウィク氏によるクレタ=ミケネ文字の日本語解読)。またおかしいのはそれらの真実考証に対して日本の学者達はただただ無視を決め込むだけ、知らない振りをするだけである。まさに日本の歴史家の唱える「日本歴史」とは矛盾だらけ、不思議だらけのおかしなおかしなストリ−の連続である。

 信じられないではあろう、しかしこれらすべては日本の古神道という「古代意識的遺物」から見出されたものであり、すべては今、「数」により明らかにされ、導かれたものである。これらには「古代日本の叡智」のすべてが網羅され、明かすべからずの秘め事として隠されていたのである。でも今は数千年の時が経ち時代はすっかり変わったが、相変わらず埋もれたままの姿と言える。そこに鎮まる真実を見出し、共に覗いて検証して見ようではないか。ここまで読み解き、ここまで達した今の貴方なら十分に考察検証できるはずである。それはまたその手法さえ知れば誰にでも簡単に自己検証が出来るものであり、望めば更なる奥舞台への踏み込むことが出来、「数」が開示する深遠なる『宇宙普遍の真実』に近づくことができるのである。 またここにある「基礎数理」を十分に理解咀嚼すれば、このあとは『神の方陣』と言う宇宙磐石の「神の仕組み」が貴方を待ちうけ、貴方を更なる夢幻の「天上数世界」にいざなってくれるのである。 そこにはしっかりと『神』が鎮座し、すべてのものを導いている事実が数によりやさしく示されているのであり、とても現代西洋科学では考えられない不思議な始末の数々がまかり通っているのである。 貴方がしっかりとした考えと小、中学生並みの頭脳、学力を備えているならば易々と理解検証でき、新たな感激と大いなる希望を生むものである。 しかし、そこで『神の数学』は終わりになるのではない、すべてはこれから始まるのである、これらはすべてプレリュ−ドであり、新たな幕開けの初幕でもある。是非、今までの古い衣は脱ぎ捨てて新しい衣類に身を包み、本当の真理を携え、人類文明の行く末に関わって見ようではないか。

 最後にもう一つ解せない話を申し上げる。今まで世界のいずれの科学、哲学、宗教も持て余していた『神の存在』を『神の数学』は綺麗な、そして明細な形で表すことが出来るのである。まさに整然とした数の証言により『神の存在』の事実を小学生にでも分かるような形で開示されているのである。貴方方には『神』は見えない、見ようとしないから無いのである、しかし在る、見えるものであると確信しそれを探せば見えないものも見えてくるのである。そして強烈に人の心を引っ張っていき、否定するにも一切否定出来ない形をとって現れているのである。『神』は在るのである、歴然と存在しているのである。そして数図的な方法をもってその形と、その働きの一切を目で見ることが可能なのである。【そのあたりの詳細は「神の方陣」上級講座(3)参照して欲しい】

 
 更に深い洞察を試み、意識を天外に飛ばし、新たな真実を掴みたいと思う方は『神の数学』の参考資料を基に『本当の自然真実』の存在を学ぶ事を勧める。、そこには驚くばかりに人知未踏の『叡智』が数多眠り、知を求めて訪れる人を一刻千金の想いで待っているのである。その中には恐らく、ここに示した内容の百倍も二百倍もの不思議なアヤを持つ真実の数々が余すことなく記されているのである。そこにあるのは紛れもない「日本の純知」であり、大陸佛教文明や今の西洋科学文明に汚染される前の驚くべき古代日本の『大叡智』の数々である。 誰か今までこの事実に気がつき調べた者はいたであろうか、NOである、気がついた者は誰もいない有様である。 ただただ大陸文明、西洋文明に目が眩み、その姿を追いかけるのに汲々するだけであり、足元にある巨大な『神の知』の存在には誰も気がつくものはいなかったのである。何とした民族の失態であり、何と言う不様な大醜態であろうか。ただただ恥じ入るだけである。 ここにあるのは私のもっている全体知の恐らくは2〜3%にも満たぬものであり、初歩的とも言うべき『知』であり、数計算手法である。もし、それさえ解しえぬと言うならば、もはや何をかいわんやである、神道もこれまで、日本の未来もこれで終わりであろう、ならば私はただただ黙するのみであり、口を閉ざすだけである。                                                                                            
                                                                         完             
     
 

 これらのことは大げさに聞こえたかもしれない、しかし古神道に隠されていた秘密を紐解くとそんな独りよがりの我々の「知のプライド」なんかは完全に吹っ飛んでしまうのである。 今必要なのは お互いにもっと素直な気持ちをもち、事あるごとに自然の言葉である数を用いて自然と語り合い、真実をつかむことである。我々も、もっと大きな心を持って胸襟を開き、お互いに素直に語り合い、手を取り合い真実の探求に努めるべきではないのか。  『神の数学』はその自然の言葉を学ぶ場でもあり、語るべき場でもある、そのあたりをしっかり胸に秘めて『神の数学』の秘髄を解き明かし、もって世の中に知らしめるべきであろう。