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超々神道 ちょっと号外 ちょっと号外2 神の数学 旧証言部
神の数学本編    サイトマップ
1.序説 2.『9の秘密』 3.『中心の秘密』 4.『言霊の秘儀』
5.真理の歌1〜6 6.真理の歌7〜12 7.古代日本の真実 8.数が語る真実証明
9.数のささやき(1) 10.数のささやき(2) 11.神の法陣(1) 12.神の法陣(2)
13.神の法陣(3) 14.神の法陣(4) 15.神の法陣(5)

『神の数学』は宇宙意識の心の表われであり、神の定め、レ−ルを轢いた「自然律」でもある。それを調べてその内容を我々の言葉に直し、そこにある大いなる意味を明かにする、それこそが『神の数学』の本義であり、務めでもある。それはまた、[古神道]と言う自然道をを生んだ日本民族の負うべき宿命、因であり、その果を自ら見出し、世の中に出さなければならない義務があるものなのである。


 『神の数学』における「数」の真理開示、一体誰が何のために用意したのか、一体何ものがそれを描き、誰に伝えようとしているのか、誰も答えられるものはいない。確かにこれだけのものが用意されている以上、それを誰かに伝えようとする意思を持ったものがいるはずである。それが私達人間を悩ます最大の『謎』である。その内容を示し、それを明かにしているのが『神の数学』であり、そこにおける『数』による驚くべき大真理の開示である。また、その大要を伝えるものが、ここに記す「超々科学」や「超々哲学」などの『宇宙原理』であり、「人知の向こうの大いなる『自然の超叡知』」の存在をを語るものである。 我々は『神の数学』をベ−スに「数の語る真理」を解き明かし、新しい哲理学を打ちたて哲学の哲学たる所以、すなわち「自然の仕組み」の真髄をつかまなければならないのである。

◎疑問、不審なところ、資料請求については、お問い合わせください。  
T.SATO(意識数学者)

『超々哲学』、それは哲学、超哲学などの人間の知によって明らかにされた「人生の究極の根本原理」、「人間本位の教理」等をを意味するものではなく、宇宙自然の持っている「普遍の原理」、「「永久に存在する自然律」の存在によりを明らかにされたものであり、それを大いなる規範として成り立つ「人類未知の叡智」とも言うべきものである。すなわちそれは『神』のみぞ知る「自然真理」、「自然意識の如何」、「自然意識の方向」を問うものであり、その確かな現れをもって是とするものである。
 すべては正真図形《正直線(循環線)、正三角形、正四角形》の中で数により開示され、聖なる意味をもつ「宇宙意識(神)の示し」である。驚くなかれ、それは正真図形、または象徴図形(エニグマ)のつくる数百、数千、数万のそれぞれ異なった相似的(フラクタル)な図ににおいて、まったく同一な意味を囁き、同一事象を開眼しているのである。それはすなわち「宇宙自然の本質」とはすべてが同一、同じ仕組(
陰陽の仕組み)により成り立っている事の確たる証拠であり、揺るぎない自然真実の示しでもある。またそれは意外にも人間の考えているほど複雑ではなく、割合に簡単にして単純無比な姿をもっていることをこの『神の数学』は示しているのである。ただその解法を語るものは[十進法]ではなく、自然に沿った『別な算法』にあることを現代人は知らず、ただただ闇雲に複雑な姿へと持って行き、遂には「カオス」とか「複雑系」の名前をつけて、我不可解とのため息を洩らすだけである。 
 本当の自然道の真理とはひとえに単純、美しい、そして感動する、メロデイアスなどの言葉が大変似合うものであり、かつそれに当てはまると言う不思議な性質を持っているものである。

 これらの『超々哲学』は「古神道」の祝詞から導き出されたものであり、いわば、世界に誇るべき日本の『叡智』であり、『知宝』でもある。またそれは古代から連綿と伝承されてきた日本人の伝承的自然知の正しさを十分に証明し、なおかつ余りあるものでもある。それが要するに「自然との共存共生」であり、「すべては「陰」と「陽」の間を循環する」との今の我々には驚くばかりの思想である。「陰」と「陽」の存在、それは結果としては正しいものであることは今になり『神の数学』により「数」で証明されようとしているのである。
 
 悲しむべきことに、今まで人類は進むべき道の正しい規範、すなわち、真の意味の「自然道の羅針盤」を持ってはいなかったのである。人類はそれを自然界の規範に求めず、自らの知で考え、自らの体験をもってよしとし、曖昧ながらも一つの「哲学体系」を作り上げて文明を進めてきたのである。しかも、それが自然の道に合致するか否かは今まで誰にも分からず、学説のおもむくまま、歴史の赴くままにに展開され、教えられてきたものである。 そしてそれは現代の科学全盛時にあってはその「本来の自然の理」は科学との整合性に欠けているとされて人の心から消え失せんとしている現在である。しかし、今ここに来て本来の自然の道を「数」で示す『神の数学』の出現により改めて「普遍真理を持つ自然哲学」の心は広く大きく明かにされようとしているのである。
 我々はこれらの「自然哲学の火」は決して消してはならないのである、なぜならそれは人類が自然に沿った正しい生きかたをするための『羅針盤』であり、「科学」の暴走を止める唯一の心の武器であり、心の糧でもあるからである。ところが現代では科学知に追われて自然哲学の火はまさに消えんとするばかりであり、「科学」の暴走に歯止めをかけ、その方向性に正邪を論ずる根拠となるものはもはや無いに等しいと言わなければならないのである。 
 
 ここにある『超々哲学』の内容は次の通りである。貴方の鋭い直観と洞察力をもって追求探査の上、十分な検証をし、更なる進展を期待するものである。
                                    (心がうきうきするほど楽しいものである)

超々哲学

『神の数学』は「超哲学」にあらずして『超々哲学』であり、人類を永遠の真理に導くものである。

@ 宇宙根元の存在とその心を探る。 「超物理の世界探求(1)」参照
A 「『陰陽の理』、それはすべての宇宙自然の「理の基盤」である」  (参照、→全講座に流れている)
B 「中心で九十度ひねる、その『メビュスの環的な存在』それが『陰陽の原理』である」
C 「『神の数学』は「意識数学」である、それはまた古代の智者プラトンが「海底に没したアトランチス大文明には素晴らしい『数哲理学』が存在したが、いまでは失われていまった」と述べて嘆いていたものである。『数哲理学』とは「数学」であり「哲学」であり「科学」でもあると言う統合学である。
D 「人間の意識」と「宇宙の意識」との対話を『数』を言語として行ってみよう、果たして対話は通じるのであろうか、そしてその仕組みとは。 「超物理の世界(9)より
E 我々人間をはじめ、自然の姿とは「陰」と「陽」によるメビュウス的な結合により顕在しているのである、それを数が教えているのである。
F宇宙の森羅万象は必然的な成り立ちをもち、偶然は一切無い。すべては宇宙全体の本質をまっとうする為に、そう仕組まれているのである。「超物理の世界探求(7)より」
G 天地の調べ、宇宙意識の声に耳を傾けよ、そこには真実とその証があり、それらのすべては数で語られているのである。数こそ宇宙自然の秘密を知っているのである。
H すべての処にあり、すべてを包んでいるもの、それは≪0≫である。0こそ宇宙を創り、森羅万象を生み出した「偉大なる存在」である。「超数学の世界探求(10)より」
  その他