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【超古神道物語3】 「神の数学」の真実を自分の手で確かめよう …!!! |
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令和編 第二の「天の岩戸」を意識で開く …!!! 令和4年 6月吉日 上載 さてさて、思わぬ事態が起こり、それらの処理に忙殺されてしまい、意志とは逆に月日ばかりが無常に早く流れる始末となり、ただただ、気が焦るだけで何も進まない状態である。 まずは、そのあたりをお詫びし、その顛末あたりの一切を心を込めながら述べておくことにしたい。 今回、「神々」の助けにより、本当の「天の岩戸」が、この令和に入ってから無事に開かれたことをご報告申し上げる次第である。それはまさに現代の人間知を遥かに上回る不可解な「神々の叡智」、すなわち、誰も知らない驚くべき「数」と「図」が描く絶妙精緻な「知の世界」であり、まさに「数」の語り上げている巧緻極まりない驚くべき「数の世界」の出現でもある。しかも、それは難しいものではなく、すべては知に疎い純真な小、中学生でも理解出来るような極めて単純な一桁式の計算式によりなり立っているものなのである。 とにかく、すべては人類初めての「神々の叡智」の出現であり、そのすべての「叡智の図」は「空間(場)と「意識(数字)」で示されているものであり、「数」の本質を知っている限り、世界のどの民族でも簡単に学べ、かつ検証可能なものである。それが古代日本に厳として存在していたことを我々日本民族は知るべきなのである。これはまさに歴史さえも塗り替えるような大発見と言ってもいいであろう。 それがすなわち、古神道の由緒ある大元となった「カムナガラの道」であり、遥か古代にあっては「太占(ふとまに)と呼ばれ、大変大切に扱われていた不可解極まりの無いものである。 それは「ひ、ふ、み、よ …… 」の数で始まるものであり、しかも倍数関係を示しながら、驚くべき内容を持って、自然の摂理、自然の大理を語る「数の本質」を語り上げているものである。 いわば、それは「自然の律理数表」ともいうべきものであり、「自然の心」を歌っているものである。 しかも、その「カムナガラの道」を意識で更にほ開いてゆくと、そこには驚くべき100近い「3次元体」が現れて、まるで判を押したように「自然の律」の存在を囁いているのである。しかも、その囁きは、驚くことに、何と、その母体である「カムナガラの道」の囁いているものとまったく同じなのである。 それは巧みな意識の力により日本古来の「9次元の空間体」、すなわち、古神道の「カムナガラの道」を開いたものであり、その奥から81ヶの驚くべき3次元体、すなわち、「3次元世界」が現れて来るのである。 また、その現れて来た100近くの「3次元の空間体」が持っている数を順序だって結び上げることにより、そこには驚くべき意味が生じて来て、我々を慄然とさせるのであり、更に、更に、それを我々の持つ言語に直すことにより、全体的な意味が通じ,意志の疎通が図れると言うものである。 まさに、それは今世紀最大の自然知の大いなる発見と言ってもいいものであろう。 それを称して、私は「第2の天の岩戸開き」と言って憚らないのであり、「カムナガラの道」から生まれた100近くの「神々の出来(しゅつらい)を歓迎し、それらの神々の囁きを聞きながら、まとめている最中なのである。 「9次元の空間」が開く、そこから100近くの「3次元の空間体」が現れる ……!! 、誰がそんなことを信じるか … !!!、馬鹿馬鹿しいにもほどがある、と恐らくは100%の人々はそう思い、嘲り笑うだけであろう。 しかしその痕跡は古代日本にまぎれもなく存在していたのである。それが、あの古い神さびた古神道の神髄と言われる「カムナガラの道」そのものであり、間違いなく、9次元構造体で成り立っている神与のものなのである。 それは間違いなく、10柱の驚くべき「数の流れ」から成り立っているものであり、まさしく、日本神話の言う「天界の神々」から与えられた「十種(トツカ)の神宝」そのものなのである。 何故なら、その「カムナガラの道」の図の中には誰も予想もしなかった驚くべき古代の知が山積し、威容を誇っているからである。しかも、それらは古代の哲理的な内容を多分に持っているものであり、例えば、それは陰陽論、魔方陣、陰陽五行悦、等の形而上の学の内容を秘めているものであり、現代の西洋知では手も足も出ないものである。 要するに、我々は中国やインドから学んだと言われている東洋哲学のすべては、この神与の「カムナガラの道」の図の中に鎮まっていて、あたりを睥睨しているものであり、ものを言っているものなのである。 要するに、これらの中国やインドで発生したと言われている東洋哲学のすべては、何と、 遥か古い時代に日本から流れて行ったものであり、その地でシッカリ根を下ろしたものなのである。 そこには同時に、日本神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」や「一霊四魂の真実」、「天地合わせ」等の秘儀も奥深く内蔵しながら今でも静かに鎮まっているのでもある。要するに、これらが一般的に「形而上学」と言われている「神の学」は古代日本が発生元であり、何と、日本古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」が、その総本山であったことがシッカリ証明出来るのである。 その事実を、証明するものが「カムナガラの道」の中の神々の大いなる数十個の囁きなのである。 また、この「カムナガラの道」の開き方は簡単であり、わたしが一言、二言説明するだけで、誰でも完全に了承が出来るものなのである。例え、小、中学生でも …… !!!!。 ただし、私の説明を聞かない限り、自らの手と頭で考えて理解しようとしても無理であろう。 まさに、古神道の存在とその教えは偉大なものであり、今までの我々の「学」の歴史、すなわち「西洋の学」を完全に圧倒し、その姿を残さず、すべてを変えてしまうようなものでもある。 大分以前に何回か言っているが、あの「カムナガラの道」の本体を紐解けば、大宇宙の形とその構造の様子も判ると …!!! 。しかも、それは現代物理の「超ひも理論」の中で述べられている最新理論、すなわち、平面的な10次元空間をコンパクト化し、定式化することにより、4次元空間が生み出されると言っているものがあるが、それはこの古神道の「カムナガラの道」の持つ手法とは何となく似ていることにあなた方も気ずいたことであろう。 そう、ほとんどそっくりなものであり、現代宇宙の10次元空間から6次元空間が巻き取られて4次元空間が残り、カラビ・ヤう空間になったものとだけなのであると現代宇宙物理学は言っている。 しかも、その4次元空間と、我々の住んでいる3次元空間の差、すなわち、1次元と言う空間の差は現代物理学の観察不足に起因するものである事さえも証明可能であると言っているのである。 しかし、そのあたりの1次元と言う空間の差の事情については、古神道の神髄である「カムナガラノ道」がハッキリと説明してくれていることには、まさに驚きである。 要するにそこには我々誰も知らない驚くべき「神のトリック」が隠されているのである。 また、最近の宇宙物理理論によると、この世界は「10次元空間」ではなく、「9次元空間」の中にある「3次元空間」であるとも言っているようでもある。何故、我々の世界は「10次元空間」であるとか、「9次元空間」であるとか、の論争が尽きないのかのについては、そこにはほんの少しの観察不足があるのであり、認識不足があるのである。 そのあたりについては、古神道の神髄である「カムナガラノ道」が十分に説明しているのであるが、 なんせ、「神」を認めていない物理学者達は、それを覗こうともしないのである。 そこには「カミムスビ」、「タカミムスビ」と言うまことに神妙な「神の仕組み」があるのであるが…。 要するに,物理学者達は「9次元空間」の中の6次元は丸く、かつ小さく畳み込まれて見えない存在となり、「3次元空間」だけ目に見える状態になって表に現れていると言っているのである。この理論が正しいなら世界が9次元空間であることが理論的な計算によって導かれたと言うことなのであろうか …… !!?? 。 はて、はて、…… !!?? 私は言いたい、平面を巻き取ると、立体になり、その結果として、次元は一つ消えてしまうのである。実際にやって見ると、それがよく判る、それがいわゆる「神」言葉の「カミムスビ」、「タカミムスビ」 の言葉であり、極めて素晴らしい「神言葉」なのである。 しかし、これらのものは、今の所、単なる私の推論と想定による仮説を「数」で実証したものであり、確定したものではない。あなた方も、一つ考えて見てもらいたい、 ハー、ハー、ハー、!!!。 どうしてそのようになったのかは「カムナガラの道」の図をよく見れば判ってくるはずである。要するに、それこそが、「神の叡智」は「人間の知」よりも遥かに優れていることを明らかにしている最大の証拠となるものである。 出来れば、あなた方の手で「カムナガラの道」の本体図を詳細に調べ、ジックリと検証してもらいたいものである。望むなら、その案内は私がしかと承ろうではないか …… !!!。 とにかく、「カムナガラの道」の数を辿ることにより、これらの一切のすべては明らかになり、誰でも検証が可能なものなのである。出来れば、あなた方の手で、改めて「カムナガラの道」をシッカリ検証し、真実を確かめてもらいたいと思う。 要するに、それが古神道の「カムナガラの道」では9次元空間を開くことにより、数多(あまた)の3次元空間が現れて、真実を語り上げながら、我々の持つ知識の不確かさをたしなめているもの、それが今回の意識による「天の岩戸開き」の件であり、その証左となるものである。そのあたりはあなたの目で直に私の資料を見ながら、是非、検証して見てもらいたいものである。 まずは、大分前に明らかにした、古式ゆかしき、あの「カムナガラの道」の本体を紐解いた経緯と言うもの再度説明しょう。 そのための手法があの古式ゆかしき「カミムスビ」と「タカミムスビ」の手法であり、平面を結んで直方体をつくり、更に、直方体の端と端を結んで超直方体、すなわち、トーラス体(オービフォルド軌道体)をつくり上げている、それが本来のあるべき大宇宙の形なのであると私は述べたことである。これらのすべては「数」により詳細にされたものであり、あなた方の誰でも出来ることを是非知ってもらいたい。トーラス体とは、すなわち、ドーナツ状の形のことである。 今回の意識で開いた「カムナガラの道」の子供達もまったく矛盾なく同じことを言っているのも甚だ面白い限りである。 ただしである、現代宇宙科学の唱えている「トーラス体」、すなわち「ドーナツ形状」は誤りであり、本当は縦と横がまったく同じ「リンゴの形」が正しく、その中心の上から下えと微かな穴が開いているものと「カムナガラの道」の図は言っている。ところが、物理学が言っているドーナツ形状は縦の寸法は甚だ、短く、横の寸法は縦の何倍もあるような寸法なのである。 私は20年前あたりからそのように言っているのであるが、誰も賛同する者はいなく、反駁されるだけであった。 しかし、最近の西洋宇宙物理学の提示している絵図を見ると、段々に縦と横の寸法の同じリンゴのような円形になって来ているようである。まさに弥栄の限りであり、嬉しい限りである。 さあ、あなた方も目をパチクリばかりしないで、あなたの知に沿って自分の目と心で洞察し、検証して見てはは如何かな…!!!。そのための「数」による完全な演算方式を開いているのが、今回の「カムナガラの道」の資料の数々である。 将来、これらの是非を判断し、自らの納得することが必要なのは、あなた方であり、それにより、あなた方の自らの未来の運命が決まって来るはずである。 さあ、懸命に思考を繰り広げ、大いに悩んで頂こうではないか …… !!!。 それに比べると、「現代科学」は余りにも貧相であり、及びもつかない貧知と言ってもいいものであろう。 出来れば、一度、古代日本神話に立ち返り、改めてその真実を掴んでみることである、私は喜んでご案内しよう。 現在の西洋科学知では、もはや、どうしょうもないところに来ているのである、進んでも、進んでも、行き着くところは複雑とカオスの堂々巡りの世界があるだけであり、これ以上の進歩発展は望もうとしても、それは到底無理なものである。 いや、これは私が言っているのではなく、先端科学者達が言っている言葉である。そのあたりは誤解しないで欲しい。 論より証拠、現在、西洋の先端科学者達は古代に立ち戻り、神話や伝説を懸命に調べ始め、何か進歩のヒントが無いかを探し始めているのである。しかし、日本の科学者たちは、ただそんなことはあるはずが無いと鷹揚に構えているのであり、調べようとする者は誰もいない、世界で最も古く、素晴らしい歴史の産物や超古文書類が最も多い国なのであるが …… !!!。 まさに宝の持ち腐れで、もったいない話と言うものであり、 まさに残念の一言に尽きるものである。 まさに、自然は単純なものではあるが、まことに奥が深いものであり、我々の学んだ学知などではまったく歯が立たないものである。そのあたりを改めて考え直すことが、これからは必要なのである。要するに、計算基本が全く異なってくいるのである。 しかも、それらはまさに奇想天外なものではあるが、シッカリ解析して見ると、それは我々の心には十分に沁み渡る内容を持って呼びかけて来るものであり、何となく親しみさえも感じられるものと言ってもいいものである。 何故ならば、何と、古代日本のその「神の数学」の基本となってる計算法が今でもヨロッパあたりに残されていて奇異を誇っているからである。要するに、それらは遥か昔に日本から流れていった「神の数学」の計算法の名残なのであろう。 何と、それを今、日本人が学び、懸命に明かそうと頑張っているのである。まさに、論外な話であり、呆れ果てるだけである。 今、そのような古代の真実が日本に出現したと言うことは、一体、どのようなことなのであろうか … ??、「天」は我々に何を望もうとしているのであろうか、そのあたりを、改めて考えて見ることが必要なのである。 まずは、あなた方日本人がイニシヤテイブを取り、十分に内容を検討検証して、それから世界の人々に伝えて行く、それが序というものであり、物事の順序と言うものであろう。そのあたりのことは是非ともあなた方にお頼みしておきたい。 ハー、ハー、ハー、大分論点が外れてしまったが、お許し願いたい、さて、さて、軌道を元に戻すことにしょう …… !!。 第一回目の「天の岩戸」は神代(かみよ)の時代に天手力男命により力で開かれたのであるが、令和に始まったの第二回目の「天の岩戸」は、何と、驚くことに意識により開かれたものであり、すべては完全に開かれた状態と相成って、あれよあれよと言う間に、すべては簡単に完了してしまったような次第である。それにより、一つの「天照大御神」、すなわち「カムナガラの道」は100近くの分身分象に分かれて、連結呼応しながら、まったく不可思議な呪文を朗々と唱え始め、私をひどく驚かせているような始末である。 しかも、それは何千年、何万年と言う長い間、懸命に繰り返し歌いながら、ひたすら時の来るのを待っていたのである。 今の今までそれに気づいた現代人は誰もいなかったと言うのである。 何と哀れな切ない話なのであろうか…!!。ただただ、涙がこぼれ、胸が打ち震えて止まない思いである …… !!!。 私はこの事態を称して、意識による第二の「天の岩戸開き」と言っているのである。第一の「天の岩戸開き」は力で開かれて「天照大御神」が出現し、御座したのなら、今回の第二の「天の岩戸開き」は意識により隅々まで完全に開かれ、すべての「神の秘儀」は明らかになったと言ってもいいものであろう。 要するに、これが神道界の先達たちが探し求めて来た古来から伝承にある「日本の秘宝」であり、「世界を救う大叡智」でもあるのである。 …… 「天寿学と日本神道」…太田龍著より その顛末の一切が、この「神の公開文書」、通称、「神のノート」に記されている30記余りの「神の秘儀録」の数々であり、すべては誰も知らない「神々」の悲痛な雄叫びなのである。 恐らく、ぺ-ジにすればA3の用紙で70~80ぺージくらいはあるであろうか、とにかく、用紙いっぱいに記されていて、私でさえも戸惑うばかりの内容と量であり、大変、心が引かれるばかりの不可思議千万な「神々の秘儀」の数々なのである。 これらを公開に踏み切るかどうか、それについて、しばし時間を要したが、思い切って全面公開に踏み切ることにした。 何故ならば私は90歳に近い老いた身であり、生きている間に、少しでも人々の役に立つものならこの身を投げ打ってでも社会に奉仕するのが義務であり、筋であると考えたからである。 まずは第二の「天の岩戸開き」と銘打ったからには、とにかく、神様たちに許可を得てから始めるべきであると考えたので、色々と考えをめぐらし、第一回目の「天の岩戸開き」は九州の高千穂の峰の南側(日向宮崎)で行われたので、今回は高千穂の峰の北側すなわち、大分あたりで行いたいと思い、チャンスが来るのを待っていたのである。 すると、偶然か、それとも「神」の計らいか、大分県の宇佐市から「神の数学」の講演をお願いしたいとの申し込みがあったので、これ幸いと便乗し、心に願っていた通りに目出度く宇佐神宮に参拝し、 第二の「天の岩戸開き」の件をジックリと「神々」にご報告申し上げたのである。 それが令和4年の5月12日から二日間、主宰者は宇佐倫理法人会と言う大変いかめしい名前の団体であった。 まあ、そういう訳で完全に心の負担も軽くなって、やっと平静さを取り戻し、これで資料の纏めと編纂に取り掛かれると思ったのもつかの間、帰宅してから身体と心が、何故か、どうしても一致せず、フラフラ、愚図愚図、だらだらと毎日を過ごすことになり、気が付いたら月日は経って、世間は6月の半ばを迎えていたと言う哀れな始末なのである。 私は昔から、神様が大好きで、有名神社に参拝すると、光の跳躍反射加減や、何とも言えない空気の流れの爽快感、木の葉のざわめきとその光りの乱れ方、木々の香りの何とも言えないかぐやかしさ、水の流れの穏やかな響き等が心に響き、「神の存在」と言うものが、何となく判って来るような気がしていたのである。有名な神社等に行くと、それが際立ち、心の安堵感が次々と増してくるのがよく判り、嬉しさも一汐増し、それにつれて気分も爽快になり、ハイになって来るのが常なのである。 しかし、私はその時には、何も感じられなかったので、神様は不在かなと思い、心の中で少々舌打ちをし、何処に行ったのかなと少々そねむ(嫉)ような気持ちで参拝したのも、これまた事実である。 恐らく、そのような半ば、つたない反抗心と言うものが逆鱗に触れて、それがこの度の身体の不調を招いてしまったのであろう。少々、心が浮きすぎ、自分がのぼせあがっていたのも事実であり、今、深く、深く反省している次第なのである。 さてさて、この度の第二の「天の岩戸開き」の御開帳については少々困った事態になっているのである。 それは古神道の神髄である「カムナガラの道」を、意識で開いた時に余りにも多くの「カムナガラの道」の有形図象、すなわち、「カムナガラの道」の子供達が中からが飛び出して来て騒ぎ始め、今では、完全に制御不能な状態になっているのである。 その数図たるや100近くであり、それが立ち並んで、完全一致の状態で、しかも完全連結状態を図で示しながら、「神の叡智」の存在を強く囁き、我々に目を覚ませと懸命に迫って来ているような状態なのである。しかも、それは「現代数学」の不備を説き、「現代数学」の基礎的な欠陥を子供でも解るように、手を取り、足を取って「図」と「数」で教えているものなのである。 それらは「カムナガラの道」の中で一定の重った状態で重複し合っているのであり、一旦、教えられると誰でも簡単に開くことが出来るのものである。要するに、あなた方は「カムナガラの道」を平面と見て、平面上で「神の秘儀」を探しているので誰も見つけることが叶わなかったのであり、本来は、それは半ば重複したパラレル・ワ-ルド的な存在のものであり、探し方次第では簡単に探すことが出来るものなのである。しかるに、今まで、誰もそこまでは気が回らず、見つけ出すことが出来なかったような次第である。甚だ簡単であり、小学生でも簡単に判るものであるが …… !!!。 要するに、それは何と、幾何的な数図から,代数的な情報を引き出す為の一つの驚くべき「神のコ-ド」,すなわち、図形を並べることにより、そこから色々な数の理を見出し、最終的には驚くべき「神」の情報を引き出すことができたのである。 一つ、言って置きたいことがある、これらを称して、あのニュウーヨーク工科大学教授の馬野周二博士は次のように言っておられた、古神道は何より近代物理を先取りし、更に進んでいる哲理学であり、天文、生理学でもある。それにしても、古代日本人の思想は実に不思議である。3千年前に、何故彼らはあのような物理学的世界観を、整然とした幾何学構図の中に収めることが出来たのか、どうしてそこから千古比類のない人倫哲学と政治哲学を引き出すことが出来たのかと …… !!!。 これらの言葉はまさに古神道の「カムナガラの道」の内容そのものであり、馬野博士も私と同様に古神道の神髄である「カムナガラの道」を調査研究していたことを証明するものであろう。 人類文明の秘宝『日本』 ……馬野周二博士著より また、これらの「カムナガラの道」の子供達は完全な3次元の世界の原型的な存在であり、我々には大変馴染み深いものと言ってもいいものである。 何故ならば、それは我々の世界の雛形そのものであり、まさに我々の「3次元世界」の顔を持つものであるからである。 それら、「カムナガラの道」から現れた子供達は口々に不可解な数言葉を叫んでいるのであり、その言葉とは昔からお釈迦さんのような宗教界の偉人達が発していたお馴染みのものと言われ、その意味は誰にも分らない言葉として今でも残っていて、しかも、それらは、誰でも知っている有名な言葉として、現代でも話題性には欠けないものでもある。 また、それらは今でも、インター・ネット上でも散々囁かれ、人々を迷わせている謎の言葉として有名なものでもある。 何と、それが古神道の神髄である「カムナガラの道」の中に数多潜んでいて、ひっそりと数千年、数万年と言う長い年月を過ごして来ていたと言う由緒のあるものなのである。それ故に哀れな古代日本の「秘め事」の一つの姿として、我々の心にシッカリと、留め置いて貰いたいと思う。 我々日本人はこれらの不可思議な言葉は仏教を通して、唐天竺あたりから輸入されとものと思っていたのであるが、あにはからんや、それらは日本原産の古い言葉であり、れっきとした日本生まれであったことに、ここに来て、やっと気がついたような次第である。 すべてそれらは「カムナガラの道」の子供たちの囁きの声であり、それがすなわち、その昔から呪文と言われていた「神の言葉」であり、一定のきまり文句の反復が多いのが特徴なのである。また、
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